仏相な世の中、日本の中
―フランス在住ただいま帰国中―
小畑 リアンヌ
番外編
-フランス在もの申す-
「作者は今、何処に」という疑問をもたれている方からご質問をいただいた。
去年の秋日本にいる間、お一人様でテレビを見ていて、暇になったので、百均でおっと今は100円ショップで便箋を買ってきて、知人に歌詞とお礼の文章を送ろうと思ったとき、余った便箋に「仏相な世の中、日本の中」をメモのように書き上げた。
それは久しぶりの日本が本当に人々が気付かない間に急変していることがひしひしと感じられたからだった。
当時、テレビでは次の言葉が繰り返されていた。
「サブプライム」「世界同時株安」「ゲートウェイ破たん」「リーマンズブラザーズ」「G7」「三浦和義社長自殺」「コンニャクウオ」「福田首相」「巨人優勝」「4人ノーベル賞」「改正少年法」「給油処置」「裁判員制度」「ゲリラ豪雨」「振り込め詐欺」「解散総選挙」「改算された年金」「母親が小六の首を絞める」「DVD店の火事」「秋葉原事件」「皇居全裸男」「株の下落」「アメリカ発金融危機」「貸し絞り」「貸しはがし」「円高」「失業」「ハケン切り」「1929年世界大恐慌」「賃金カット」「大和生命倒産」「緒方健死亡」「タバコの売り上げ30%増」、、、
すごいと思わないか。これでは日本人も与えられたニュースにいつか洗脳されるなと思ってしまった。しかし、この言葉のうち、いくつぐらいが日本人の頭の中に残るだろうか。こっちに帰ってきて蟻の思いも天に昇る思いで一月に 一気に活字にした。
そして今、フランスの田舎で自分こそ失業保険をもらいパラダイス鎖国をしている。というより引きこもりを続けている。
ついでに今度は大いにコンピュータ依存をしている。アルコールは週末以外は飲まないことにした。
昨日は3月15日の日曜日、朝3時までワインを一人で飲んだ。一本あけた。4時間しか寝ていない。これではいけない。
だから息子が話していたロングランの面白い映画を見に行こうと決めた。面白くなければ映画館で寝ればいいとそんな軽い気持ちで出かけた。
フランスは、日曜日は家族で過ごすことが多い、久しぶりに遠い親戚が訪ねてきて、お昼をみんなで食べるというケースも多々ある。この田舎の町にも、近辺もそうなので、午後3時ごろ何人もの家族がぶらぶらと食べ過ぎたお腹を回復させるために散歩をする姿がいつものように見られる。
だからだろうか。日曜日は買い物が出来ない。スーパーも開いていない。法律で日曜日に開けると罰金を食らう。
が、ゴーモンという映画館はいつも開いている。しかも午前11時に始まる映画は半額料金だ。
実は私の場合、失業者なのでいつ行っても割引がきく。人が働いている日の午後に行くとゆっくりと見ることが出来るのだが、なぜかみんなが働いている間にのんびり見る気があまりしない。
映画の題はダニー・ボイル監督の「スラムドッグ、ミリオネール」日本語では何と訳されているだろうか。翻訳者によって、変ってくるから一概に言えないが。あった、あった日本の題は「スラムドッグ$ミリオネア」らしい。同じようなものだ。
場所はインドで、18歳の青年ジャマールがテレビのクイズ番組で勝ち進んで行き、あと一歩で億万長者というときに警察に拷問を受ける場面から始まる。
久しぶりの外の空気、20度を越す南仏の天気、さくらの花が咲き、一人でもその下で花見がしたくなる、そんな気持ちのいい日曜日に何故映画館に閉じこもる必要があろうか。何もすることがないというのは人間を怠惰にしてしまうのだなと自分でもそう思った。
働きながら旦那を看病している間は一人で病院の近くのレストランに、彼が抗がん剤を打ってもらっている間に、入っても不思議なことに寂しくもなく心は充実していた。生きていると思った。それが逆に自由になって、これで生きていていいのだろうかとむなしい気持ちになっている。朝に道を聞けば夕に死すとも可なりとは言えどまだ道も聞いていない。
一人で映画館に来ている人って結構いるものだと納得した。別の映画の予告が始まった後でも二人の女性が入ってきた。始めは二人は一緒だと思ったが、まったく別の場所に座った。日曜日の朝なので大して人はいないが、ガラ空ではなかった。
もう、息子は一ヶ月も前に話していたので、相当ロングランの映画らしい。
インドの色鮮やかなそれでいてゴミの様なスラム街、密集された地域に蟻のように集まる人人、さすが人口密度の多い国だ。汚い、でもすごい原色で生き生きしているなと感じたとき、
「汚い」
「ああ、いやだ」
「なんて国」
「こんな国には住めないわ」
「これでも生きていくの」
「信じられない」
「うう」
「えっ、うそ」
と、横にいた女性の声。うるさい。始めは二人で話しているから、片方がそのうち止めるように言うだろうと思っていたら。何と独り言だった。もう一人の人は何も話していない。
それとなく、
「シッー」とたしなめた。
折角、映画館という雰囲気のもと、コンピューターでYOUTUBUを見ているわけではないし、テレビでもない。大画面を前にして赤いデラックスなソファーで腰を落として未知の世界に入れるのに、これは困った。周りはあまり人がいないから気にもならないかもしれないが、彼女のセーターを置いた一人分のソファーの次は私なのだ。
彼女は拷問の場面では益々声を高くしていく様子。
「きゃあ」
「ひどい」
「シッー」ともう一度、二度。効果がない。20分も続いている。
ああ、ここでもリアンヌの登場か。
「お願いです、マダム。話さないで。どうも」
彼女と目が合った。50歳ぐらいではないか。ショートの髪に白髪がまざり、やさしそうな目をしていた。にこっと笑っている。やっと気付いたらしい。
人に注意するということは時として、こちらの方がいやな目に合う。相手が面と向かってこられるときは気分を害して一日中考えてしまうこともある。本当は気の小さいリアンヌであるが日本人に注意してきたくせに、こちらでしないというのもふ甲斐ない。印籠はないが、悪いことを言っているのでもない。
だが、彼女は以外にも反抗はせず、それから映画が終わるまで静かになった。終わったあと、あちらを見てもにこっとしている。へえ以外に素直なのかもしれない。
ただ、いつものように家で見ていたときの癖で声が出ていたのかもしれない、それが外国人、しかも東洋人に注意されたわけだが、正しいことは正しいと判断したのだろうか。こちらもけんかを売ったわけではない、やさしく接したのだから。
この映画は面白かった。昔の日本を思い起こせた。戦後生まれであったが、まだ残っていた記憶の中に同じような情景が確かにあった。あきらめずに向かわなければならないものがあった。
本来、人間は生まれながらにして善意というものを知っているのではないだろうか。だから人間は畜生ではないんだ。
そういえば、昔は日本も活気があった。フランス以上にあった。フランス人は多くの移民を昔から抱えていたからか冷めた人種ではないだろうか。
前に向かっている日本には力あった。ものづくりの日本は素晴らしかった。いつも日本に行くとデパートなどで行われる工芸家の作品を見るのが大好きだ。コツコツ作っている姿に感激する。何かに打ち込める人間にほれる。日本に帰っている間、いつものように見学に行った。隣の安物の売りのコーナーには人が集まっていたが、こちらの方には人はまばらだった。
自分の手で作るものに憧れる。それは理屈ぬきで本来ある姿のような気がする。株で儲けた人のお金では買えないものがある。また、儲けようとして次の株を買ってしまうからかな。
いいものが少なくなるのはなんとなく寂しいものである。それはものであっても、言葉であっても。
パリにある日本人用の新聞のタイトルの横に昔はこんなサブタイトルがついていた。NI BON NI MAUVAIS(ニボン、ニモーヴェイ)と発音する。
訳して「良くも悪くもなし」というフランス語の慣用句であるが、それをもじって、NIPPON、NI MAUVAIS(ニッポン、ニモーヴェイ)「日本、悪くなし」としていたのを思い出した。
あの言葉はいつの間にか新聞から消えていった。残念だ。
注意されて人は気付くときもあるが、今回の「国民に認められていない総理大臣」は無駄金をばら撒いた後で、水は方円の器に随うにしても、有識者を集めて意見を聞くというニュースがあった。
今ごろ何故。まあ、耳を傾けること自体には反対ではないが、こんなパーフォマンスをするなら、もっと前にやるべきではなかっただろうか。こんな英語的なやり方に半畳を入れることはできないだろうな。
-パリに行く-
安いイージージェットという飛行機がある。イギリスの会社だがインターネットでしか予約が出来ない。がよくこれを利用する。フランスにいながら独占的で高価なエールフランスにはあまり乗らない。
まあ、それはどうでもいいが、春うららなこの季節、庭にはさくらんぼうとなしの花が満開、隣の庭にはマニヨリアの花、つまり花もくれんが咲き乱れている。こちらの人はこの花が好きなようだ。このボリームあるピンク色の花房がきっといいのかもしれない。なのに曇っていて気分が晴れない。
こちらのハローワークで、日本人なのだからパリなら何か仕事があるだろう。
是非とも何かを見つけて来いとおおせつかってしまった。
安い航空旅券を買うといつも時間どうりに出発できない。一時間以上の遅れだった。ラウンジでいらいらする人たちの間で数独をのんびりしながら時間をつぶす。
3月の末といいながらパリは快晴。南仏より天気がいいというのは本当は納得がいかない。まあいいか行く先がお天気(まあ、本人はノー天気に近いが)なのは。パリ市内までの行き方を案内カウンターで硝子越しに聞く。オルリーバスでパリ市内に入りそこからメトロだと教えてくれた。メトロを乗り換えるのはあまり好きではない。長い道を行ったり来たり、しかも階段を登ったり降りたり、中高年者にはほんまにしんどい。でもしゃあないか。
エスカレータで人が集まっている。かなりの数だ。ところが左側には誰もいない。ときどき若者が音もなく動いているエスカレータの段をひとつ飛ばしで左側を駆け上がっていく。
いつから一列になり左側は「急いでいる人種」用になったのだろう。いやこのシステムはフランスに来た当時からあった。ではあんなに超満員な日本はいつからこのシステムを導入したのだろうか。しかも東京と大阪では左右反対になっている。去年日本に一度は東京、二度目は大阪に行って気付いたのだが。何でやー。
フランスは車が日本と違って逆方向道なので左が追い越し側、とすると東京の方が正しいということだろうか。しかし大阪人はというより右利きはどうしても右側に並んでしまうのだが。「どうでもいいけど、何で外国の真似をする」、それにしても世の中、どうして「急ぐ人」がいつも優先されなければならないのか。もし以前のように両側に乗れればこんな混雑は起こらない。
おっと、また愚痴のようなことを書いてしまった。ある人からこんな悩みのような感想をいただいた。
「今の若者はと嘆くのは自分が歳をとったという一面もあるようですので、少しは気をつけて発言しなければならないように思いますが・・・・」 そうだろうか。何を遠慮している。
決してこのエッセイで「若い人」だけを嘆いているのではない。むしろその逆だ。誰も警鐘を鳴らす人がいなくなったから、自分も含め考えている。その身正しければ令せずとも行われる。それに一歩でも近づきたいと思っている。今の世の中、大人は子供に媚びて、逆に子供をダメにしているのではないだろうか。自信を無くした「大人の責任」ではないか。
フランスではそういった子供のことを「DEBOUSSOLE デッブソレ」と言っているがこの言葉の元の「ブッソル」自身が「羅針盤」という悪くない意味がある。「羅針盤」を失くした世界。つまり行く道がわからない人、迷っている人、自分に自信がなくなった人と訳したい。
あわてて荷物をもってバスを横切ろうとしたとき、バスの運転手はドアを開け、乗せてくれながら、
「危ないじゃないか、僕にひかれたかったのか」と笑いながら言った。普通のバスの運転手はこんな風に途中で止めて乗せては来れないし冗談も言わないから、親切だ。
「すみません。でもありがとうムッシュー。今日はいいお天気ね」
「そうだね。どこから来たの」
「トゥールーズからよ」
「あっちもいいお天気だろう」
そんな会話をしながら、ゆっくりとお金を払う。バスは止まったままだった。
私が止めたのを利用してあわてて次の客が乗ってきた。そして彼は自分が交通局の一員であるから、お金は払わなくていいだろうと運転手にカードを見せながら言う。
「いいえ、これは市営なので関係ない」
「そんなはずはない。お前が間違っている」
「いや、確かだ」
「後で、調べるからな」とたんかを切っている。でも運転手は引き下がらない。もうバスも走り出している。たかが6ユーロ50サンチームぐらいでこの方も、お国の公務員の地位をさらけ出している。どこの国も同じなのか。ああ折角のいい気分が台無しだ。
台無しといえば、ある日本人会の会話をここで書かなければならない。
どうせ一週間パリへ行くのだから、出来る限りの行動をすることにした。つまり娘とは結婚に向けての準備、ワインの展示会の試食、いや試飲かな、あるカクテルパーティ、友人とのカラオケ、美術鑑賞(ポンピドーセンターでカンデスキーが見たかったが)、不動産探し、おっと忘れてはならない就職活動。
その就職活動のため、何と10通ぐらいの履歴書をメールまたは手紙で行く前に出したが、返事が来たのはなんとフランス企業一社だけだった。これってどうなってるの。
履歴書を出してはいなかったが、ある日本の本屋にも求人広告が出ていたので、カウンターのところで尋ねてみた。
「あのう、まだ求人はしていますか」
「ええ、まだやっていますよ。履歴書を預かりますよ」
「はあ、お渡しする前にあの、少し年齢がいっていますけど、大丈夫でしょうか」
手渡すその女性は20代そこそこ、またお店を見渡しても店員はかなり若い。
「関係ないと思います。でもちょっと聞いてきますね」と言って裏の方に入っていった。戻ってきて。
「あのう、もう決まったそうです」とだけ言われた。
フランスでは法律上、年齢など自分に不利になることを履歴書に明記する必要はない。だから小畑の横書きにも書いてはいない。が、日本人向けの求人にはときどき知ってか知らずか35歳までという項目がよく付け加えられている。本当は法律違反だ。にもかかわらず公然と行われているのも事実である。友人でパリの商工会議所のようなところに勤めている人からこう教えてもらったことがある。
日本企業は殆どが男性社会だから自分より年上の日本女性を鼻で動かせない、使いづらい、だから35歳ぐらいで線を引くことになっていると言うのだ。学歴を見れば年齢がわかる。その為の学歴欄である。履歴書に書かれている仕事の経歴などはあまり関係ない。つまり使い勝手がいいかどうかだと。そんな馬鹿な。こんなフランスに来ても日本人は何も変らない。井の中の蛙大海を知らず。でも、ここはフランスだよ、パリの中の蛙ってこと、何で狭い狭い日本流儀をここでもとおすのだろうか。
そして、今回はフランス流儀になりすぎた日本人会の方との会話が気になった。履歴書を送り、何回かメールが来て、返事をしてもそれからなしのつぶて。南仏へ帰る前にダメでもともとと電話をしてみた。
「もしもし、こちらは小畑ですが、事務局長のお話で履歴書を出したものですが、もう決まりましたでしょうか」
「わかりかねます」と日本男性が出た。言い方がまるでフランス人的でこちらの方がびっくりしてしまった。取りつく島もない。
「では、お わ か り になる方とお話できませんか」
「その方は常駐ではありません」
「ではいつ来られますか」
「わかりかねます」
こちらの事情を説明して、遠くから来ているので失礼ではあるが、こうして電話させてもらったこと、せめてNOならその返事がいただきたいことを言ったが、結局は何十回と「わかりかねます」と返事されてしまった。それなら彼が出てくることはない。テープレコーダーを相手に話している方がこちらも楽である。
ハローワークからは、アソシエーションつまりNPOで働くことはアソシエーション側にとっても50歳以上は有利である。つまり法律上私に対しての支払いが無料に近くなる。そのことを強調するように言われた。また、一年以上の失業者を雇うということは企業側でもNPOでも給付金を得ることが出来る。失業者側もパリであろうと仕事が見つかれば、およそ13万円ほどの引越し手当てなどが出るし、すぐに引越しはしなくともしばらくは二重居住の手当ても出る。
だが、彼はこんなことは知らない。「わかりかねます」なのだから、ここで言いたいことがある。よくフランスへ来て日本人は態度が変る。「フランス的?」になるそうだ。と日本人の方から指摘を受けたことがある。これは冗談だが「仏(フランス)作って魂入れず」というが、フランスへ来て変なフランス人の悪いところだけはちゃんと習得して、肝心なフランス人の本当の性格は習っていない。
フランス人は本当は「ソリダリテ=連帯感、同情」が強い国民である。それをしっかり習っているのだろうか。日本も遠い昔にはそれがあった。いつからか心まで資本主義になってしまったのか。魂を入れていないのでは。なら日本人のままでいた方がまだいいのではないだろうか。
パリへ来て、3月29日(日)の無料の“LE JOURNAL DU DIMANCHE”(日曜新聞)に日本の記事、まる一ページ(カーレン・ラジョン特別派遣員)が目に留まった。タイトルは“L‘HONNEUR DES SANS-ABRI” つまり「ホームレスたちの名誉」、これは完全に皮肉っている。大きな写真にはごみひとつ落ちていない整然とした立派な地下鉄の構内で失業者が座っている。その横を見向きもせずに黒い背広のサラリーマンたちががケイタイをかけつつ何人もがその横を過ぎ去る。
文面はNORIOという48歳のノースウエスト航空の役職社員が自分の父親の世話のため、不況になったとたん解雇されたということから始まり、日本のサラリーマンの伝統である終身雇用の会社自体が信用できなくなり、いわゆる日本伝説が崩れていったことに展開し、最後に東尋坊での257人の自殺急増へと話がまとめられている。
枠外には日本の不況の数字として、49.4%(2月の輸出減少)、77%(の非正規会社員が何の社会保障もない)、200人(のトップでさえもお給料を減額された)。そのもうひとつ枠外には“MARIKO 芸者は不況知らず”という記事が合わせて載せられていた。
そんな中、ロンドンで開かれた世界経済の約85%のシェアを占める主要20カ国(G20)金融サミットが4月2日に開かれたが、フランスでは「第二の経済大国日本」のことなどほんの片隅にすらテレビに映らなかった。もっぱら民主党出身のオバマ大統領が中心となっていた。
今回の不況で立ち上がれなかったら日本は忘れられていくのだろうな。というよりか北朝鮮の弾道ミサイル(いつの間にか摩擦が起きないように飛翔体と言葉が弱めらてていたが)、不況、アフガニスタン、ソマラリア沖海賊うんぬんは脅威かもしれないが、それよりも内部から少しづつ崩れて行っている日本のほうが心配ではないだろうか。いくら古川に水絶えずでも今回はどうだろう。本来の日本人として立ち上がってほしい。
パリから戻り、隣の奥さんとベトナム人の奥さんと近くの安い、それでいて庭が広い田舎風の馬小屋を改造したようなレストランで食事をした。隣の奥さんは働いているのでわざと一日開けてくれた。年に一、二度彼女はのんびり私たちと話すため休暇をとってくれる。もうかれこれ20年近く続いているんではないだろうか。
いつものレストランはガラガラ。どうなっているの。ここまで不況の波は来ているのか。いつもは窓際に席が取れないのでわざと始まる5分前に来たというのに誰もいないので経営者が変ったのかと聞いてみたが、そうではないらしい。ウエイトレスは苦笑いしながら、
「こういう日もあります」とだけ言った。
席に付いた後、
「久しぶりね、変ったことはみんなある」とベトナム人の彼女は前髪を開け自分の眉毛を見せた。
「???」
「何もないけど、これパリのお土産」空港の本屋で買った金色のエッフェル塔が刻まれたコインを渡した。
「ほらよく見て」彼女は前髪を完全に上げてこちらのプレゼントには興味なさそうに続ける。
「刺青したの?」今度はフランス人が声を上げた。
「???」
隣にいたので、気付かなかったがそういえば毛先はないのに眉が濃くなっている。カールが掛かった前髪を元に戻しながら。
「リアンヌもしたら、便利よ。毎日お化粧しなくても済むし」-いくら面倒くさがりやでもそこまでするか。
「そういえば顔色が悪いからと唇に赤の刺青した人もいるのよ」-洋服に合わせて色も選べないのか。それより水から上がってもぶるぶる震える唇が鮮やかな赤なのか。
つまり、顔にお化粧する変わりに刺青をしてしまうのが流行っているらしい。でも待てよ。彼女の眉はまるでオフィス街のOL風、少し四角張ってカーブがつけられている。本来眉は汗から目を守るためのものではないのか。
人は失くして初めて、それがどんなに大切なものであったのか気付く。私もそうだった。
「フランスの中」も今や平常ではなくなってきたということか。おそろしい。しかも彼女はこうも続けた。
「リアンヌは目が細くて東洋人みたいだから、手術して二重にすれば」-私は正真正銘の東洋人だ。どこが悪い。
なんでだ。この目が気に入っている。別にヨーロッパ人の顔になんて憧れない。ベトナム人の彼女は国籍もフランスにしてしまったかと思うと、上から下まで変えてしまった。
いいことは真似たい。でも悪いことまで真似たいとは思わない。それぐらいの判断は出来る。アメリカに踊らされて証券を買った。
「世の中、フランスの中」みんなおかしくなっているのではないだろうか。
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