仏相な世の中、日本の中
―フランス在住ただいま帰国中―
小畑 リアンヌ
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-くだらないテレビ-
帰国後の楽しみは食べることとテレビ。そう、ここでは大いに日本語のテレビが見れるのだ。
フランス語なんて忘れ去ってもいい。息子と旅した間は自由に見れなかったが、彼が帰ればもうこっちのもの。朝から床に就くまでテレビをかけたままにした。外出してもあんな変なオバハンにあうのだから、じっとしているのがいいと決めていた。
特にここ十三は午後6時を過ぎるとネオン街になるので早めにマンションに帰ることにしている。
6時を過ぎるころ通り道にはいつも若い韓国人女性が4,5人道端に座って夕涼みをしていた。韓国人だとわかるのは、フランスにまで回ってきたDVDの冬のソナタのおかげ。吹き替えなしのオリジナルだったので、なんとなく韓国語を覚えた。クレーとかオンマとか、、ときどき聞こえてくる朝鮮語が心地よく聞こえた。
また、座り方が違う。彼女達は本当に道端に足を広げて、片足は立てひじついて座っていることが多い。あの座り方はいただけない。しかも道をさえぎっている。私の行き先を邪魔したらひと言言わせてもらおうといつも構えていたが、すっと道を空けてくれる。多分彼女達は私の年齢が読めるようだ。
話がそれたが、夕方からは本当にテレビの前に座ってビールを飲むのを日課にしていた。発泡酒はいけない。なんかだまされているようで心から飲みたいとは思わない。1週間ほど午前一時二時までチャンネルを回し続けた。始めは懐かしさも加わり、殆どバラエティ番組を見ていた。NHKのニュースばかりのフランスではないのだからうれしい。
どこにも行かないときは朝から晩まで本当につけっぱなしにしていた。それはどんなことも日本語なのだから理解できると始めはそう信じていたからだ。だが、不思議なことにだんだん見るに連れてわからない言い回しが多々あった。それにしても、なんとお笑いタレントが出ている番組の多いことか、ニューハーフ、若いタレント女性も多い、お尻が青そうなタレントなのだが20歳は超えているだろうが、どう見ても13、4歳にしか見えない。その話し方からはぜんぜん見えてこない。番組名も、何とかスペシャル、何とかステージ、たけしの何とか、大人の何とか、SPクイズ何とか、SPテスト何とか、兎に角2時間以上もあるSP、スペシャル大はやり。
殆どがテレビ局のスタディオ、にもかかわらずセットはまるでパチンコ屋、もうサイケなぎんぎら銀、もう少しシックにしてもらえないだろうか、ニュースのそれまでぎんぎら銀、おーい、どこにいる大人たちはと言いたくなる。
人間工学というのがある。新幹線は人間工学を駆使したそうな。つまり運転手にとってより効率よく、眠気にも襲われず運転できるか、など、、らしい。スーパーではよく目に付くチラシが黄色のバックに赤文字で書かれた広告、これが人の目をもっとも引きやすいそうだ。
フランスもかの有名な大手のスーパーがこの手を使っている。確かにそうかもしれないが、何でも統計で人間が計算されては困る。日本のテレビがいつの間にか視聴者目当てに一番目を引く方法があのぎんぎらぎんと言うなら日本中がパチンコ屋になってしまう。パチンコ屋を攻めているのではない。パチンコ屋はパチンコ屋なり、あの原色のぎらぎらと玉が落ちる音がまるで念仏を唱えているように集中するには役に立つなどと誰かが言ったことも覚えてはいるが。
どちらにしても、昔は好きだったパチンコが今回は一度も入る気はしない。というのも、昔は玉はひとつひとつ自分が握った感覚で飛ばせたし、うまく行って入れば何かしら、運命が変わるのではと、全部すってしまっても面白かった。が、今は足でも置いておけばまわし続けるような連動式、これじゃ夢がない。周りを見ても儲けだけを考えているやからが、目の色を変えて打ち込んでいるのがわかる。これじゃ馬の耳に念仏だ。
パリの日本料理レストランに何回か入ったことがある。ほう、シックだなと感心すると経営者はむしろフランス人だったり、アジア人だったりする。彼らの頭の中では日本は住宅も人もシンプルを追及した国というイメージが強いらしい。畳の和室にひっそり置かれた掛け軸、そう昔の人はシンプルを好んだ。見せたくないものは押入れに隠したり、シンプルであってそれでいて大胆な朱の色などを使ったりと工夫をしたものだ。なのにこのテレビ番組の趣味の悪さはいったいどこから来たのだろうか。
今のところ、フランスの番組を見てもこのての趣味の悪さはない。いやむしろ洗練された色使いが感じられるときのほうが多い。
ましてやクイズの番組でタレントが出演者でそしてタレントが回答者、まるで内輪の出来上がったシナリオにどうして喜ばねばならぬのか。クイズにあたっても出演したタレントが賞金、賞品のハワイ旅行などにお出かけになるのだから、見ている視聴者にはまったく関係が無い。一銭にもならない。“タイムアウト”という番組までもタレントに置き換わっている。
始めは少しは頭の体操になるかなと見ることにしたが、実にくだらない。
しかもちっとも自分の身にならない。馬鹿馬鹿らしくなってくる。芸能人同士が騒いでいるだけで、こちらはただの鑑賞者。
しかも、わざわざ日本語のカタカナの字幕まで半分の画面を使って出ているではないか、漫画じゃない。馬鹿にするな。笑いたくないのに、笑っている“アッハッハ”“ギャアア”まで出てくるようじゃ腹が立つ。一喜一憂してみるまでのこともない。ない、ない、ほんまにない。
こんな私はどこかでさめた人間かも知れないが。
大いに笑うことがどこが悪い、それで幸せになれるならいいじゃないか。そう言われりゃそうかもしれない。でも笑いにも質ってものがある。心から人が笑えるのは本当に幸福を見つけたときではないだろうか。一時的には笑えるかもしれない。でもごまかしだけでいつも笑うなんて寂しくないだろうか。
石ころが転げただけでも人間は笑えるという。要するに気の持ち方なんだと思う。でも、だからと言って先ほども言ったが自分を見失うようなごまかしの笑いだけはご勘弁だ。ごまかしの金持ちにもなりたくない。金持ちになった後でそのお金が盗られそうでひやひやもしたくない。もちろん貧乏人にもなりたくない。素直に生きていたい。
格差が大きすぎると人は自分の今の生活を否定する。昔は日本人の誰かに今の生活状況を質問したら、大概のみんなが中流以上と思っているという返事が返ってきた筈だ。今の日本にはそれが無い。
さめた私には成人式も迎えていないあるスポーツマンが1億円の収入と聞いても憧れない。彼の収入が2億円になるように応援もしない。それが夢を運んでくれるとも思わない。むしろ彼は1億円の努力を本当にしたのかという疑問の方がある。踊らされて稼がされていることに哀れさも感じる。
彼はお金より実力を伸ばしたいと思っているだろう。だから他人の稼ぎなんてどうでもいい。なのに何故NHKのニュースまでお金のことをそんなに言いたがる。そんなためのスポーツなら見たくも無い。世の中、なんでいつもお金なの。確かにゴルフは好きだし、ゴルファーが打っている姿にはスーとする。フランスは未だ高級感覚なので打ちっぱなしにしか行かないが。
ところで視聴者が参加できる番組はなくなってしまったのか。あった、あった、日曜日の新婚さんいらっしゃい、その後のアタックN°1、30年以上の番組が続いていた。嬉しかった。
少しロングラン番組があることに安心もしたが、それにしても日本人一億人総白痴とよく言われるがここまでだったとは思わなかった。
フランスではたまたまJSTVが高額なので殆ど無料のNHKのニュース番組しか見れない。JSTVさん、NHKさんすみません。
たまにクローズアップ現在、経済羅針盤ぐらいが見れる。フランスでは幸いに少なくとも知能が下がる番組にはあまりお目にかからなかった。
ある日、さんまの番組で“YOSHIKI ”と言う人とのトーク番組を見た。わるいが私はYOSHIKIという人を知らない。
彼女なのか彼なのか、最後まで正体は不明だった。
サングラスを最後の最後まで取っていただけなかったので、理解できなかった。手つきを見て、
この愛くるしいお方は何者?まあ、どちらにしても、鳥は古巣に帰ると言うが今の日本を作り、かなり貢献して、この方は外国へ旅たった人らしいことはわかった。ご苦労様、でもこの日本のこういう社会に里帰りに帰ってきてはテレビにお出になって、また姿をくらます類の人らしいとも読めた。
久しぶりの日本とこの方もおっしゃられた。わああ、おなじだ。
ただひとつ違っていたのはこの方は“スター“だったのですってあれね。
変な共感も覚えた。こちらよりまともかもしれない。
しかしわるいわるい、この方はなんと大スターらしい。こちらはただの小畑リアンヌ、あれっっこれっていうのももう古いのかな。
これまたすみません。
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