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番外編

番外編その2

2010年   NEW

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仏相な世の中、日本の中

―フランス在住ただいま帰国中―
                                                                                            小畑 リアンヌ



-物騒な世の中-

フランスへ帰らなければならない日がついに来た。虎の尾を踏みに帰らなくてはいけない。終の棲家はついに見つからなかったが、と言うより、本当に暮らして生きたい場所はどこなのだろうと言う疑問の方が沸いてきた。その意味では今回の滞在は私にとって実りあるものとなった。

人とのつながりは本当にいいものだと思う。寂しくなかった。少なくとも一人ぼっちではなかった。それでいて、一人でも安心の国はやはり日本である。

世界中で不況に入ってしまったけど、歴史は繰り返す。これはもしかしたら私たちに何かを見つめなおす手立てをくれたのではないか。地球はもうどこかで繋がっている。

でも日本は本当に一人で買い物をしても楽しめる。機嫌の悪い店員さんはいなかった。

今回のお土産はリサイクルセンターで買った、たちきちのお皿セット、とやぶ来たの苗だった。

この苗はずっとずっとずっとずっと何年か前、まだ中学校に通っていたとき、いつか江戸時代にも藩ひとつが破滅してしまうような財政難になったとき当時の藩主はお茶の木を垣根の代わり植えさせた。お茶代を倹約する一石二鳥のアイデアだったことを歴史好きの先生から聞いたことがある。

「今、この時期は苗ないんですけど」

とデパートの店員さんに言われたけど、それでも一週間ぐらいして電話で手に入りましたと言ってきた。すごい、さすが日本だ。

庭付きの家が残ったのだから、どうせ毎年のように垣根を切らなければいけないならせめて役立つものをと思った。浅ましい考えだ、でもこれなら自分も納得できる。

今どこでも生きてやろうと決心したのだから、じゃあついでだから何か役に立つことをしながらフランスでも、日本でも生き抜いてやる。これからの人を助けてやる。

 日本だって、

 以前にも書いたがもう一度言う。五千五百万人の50歳以上の大人がいるのなら、その一人一人がたった一人の身内でも、身内のいない人は知り合いでも、誰でもいい。助けてあげれば日本は一億人の国だからそれだけで安定するではないか。

日本では65歳以上の総資産が1100兆円あるという。自分達の余生を楽しむのもいいが高度成長で得た少しの富があるならこれからの人に残してあげてもいいのではないか。ワークシェアと言う言葉があるなら、

「ライフシェアリング」だってあっていいものではないか。少なくともどこかに人生を苦しくとも分かち合える人間がいるのだから。同じ空気を吸う、同じ水を飲む人がいるのだから。

最初に自慢できる息子だと書いた。では娘や息子にとって私は自慢できる母親だろうか。うーん、あやしいな。でも、いつかはわかってくれるように努力するつもりである。

それは私が一人でしっかり生きていけるかどうかだとも思っている。別に意固地に一人で死ぬとは言っていない。みんなと生きようと思っている。人という字は一本の枝ともう一本の枝が支えあって生きるものだと聞いたことがある。

しかし、それにしても今年の日本はゲリラ豪雨はよく聞いていたが、910月だと言うのに今回の滞在の間、23日の雨はあったが、ついに台風は日本に上陸しなかった。

チャンスやと高をくくっていたら、今度はアメリカからとてつもないどでかい不況のハリケーンが押し寄せてきた。アメリカのハリケーンだからいくら天災に慣れている日本人も太刀打ちできなかった。瓦屋根が飛んだのではなく、トタン屋根が飛び、地滑りがしだしたのではなく、一度に水が引きカラカラにひえあがったのかも知れない。

非正規社員の77%200万以下の収入では田んぼに水が引かれる土台が作られていなかった。我田だらけの今だからね。ハリケーンだけかと思ったら大旋風もスコールもタイフーンもみんないっぺんにやってきた感じではないか。嵐の前の静けさに気づく知恵をもう忘れてしまった。

 誰も自分の軒下に雨どいに来た人を追い出さない。だけど人ってそう簡単に他人様の力を借りはしない、ましてや他人の家に入ってなんかいかない。

マッチ売りの少女は作り話だとしても、死ぬほど寒くとも、すぐ目の前に暖かい暖炉があっても、楽しい家族が笑っていても、彼女は一人で外で死んで行った。

日本人も自分から手を差し伸べる行動を起こしてもいいのではないか。暖炉のあたたかさをを貸してあげる人を自分から探しても罰は当たらない。

今も私の頭の中には、あの曲が浮かんでくる。

 「人生楽ありゃ苦もあるさ、涙の後には虹も出る、歩いていくんだしっかりと自分の道を踏みしめて」

 いやはやよくこの古い歌を覚えていたものだ。「うすぺらいフランス式葵の紋」を見せる暇もなかった滞在ではあったが、私自身が大人として自覚してこれからどの国であろうとも生きていこうと覚悟が出来た。きっとこれからは人間を本当に問われる年になるのでは無いだろうか。

 フランスではこれが見えぬのかと「日本人の徳」を見せながらあきらめないでもう少し生きていこうと思っている。せめて子供たちが仕事を見つけてひとり立ちするまでは。いつでも生活を支えてあげるつもりでいる。

フランスで一人でケーキを焼いた。食べきれない。隣にもって行ってお茶をした。今度一緒にレストランへ行こうと話した。彼女も今年、お父さんを亡くしたと話してくれた。

 フランスでもひと旋風ふかしながら生きて行ってやる。

 意地悪はたのしいな、、、と昔青島幸雄が扮する意地悪ばあさんが足で自転車を倒している姿が、、でも本当はそれらの自転車は無断駐車の迷惑駐車だったってやつ。

おーい、大人たち。フランスも日本もどこへいってしまったあのか。

金持ち大人は今頃ヨットに乗って世界一周かな。一周が終わって帰ってきたらもう地球はなくなっているかも知れないよ。またまたオーバーかな。

 

『 こんなつたないエッセイでしたが色々ご意見をいただきましてありがとうございました。』

*作成:2008年10月。    ホームページ掲載2009年1月末~

**尚、フランス式WINDOWSを使用のため校正機能がありませんので誤字がありますがご了承ください。

***また、お分かりだと思いますが、ことわざを何箇所かに挿入させていただきました 。 クイズ!!あなたはいくつみつけられたでしょうか。

 

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追記

-婚活よりも活婚-

 日本では「婚活」(結婚のための活動)と言うのが流行っているらしい。そのことに関してフランスと比べてほしいと言うご提案をいただいた。

 

小畑は28年前にフランスに始めて来たとき、理由があって泊るところが用意されていなかった。もちろん出発前に一時的に免税店で働く準備もはじめ、日本で帰国中のお店の方とも大阪のとあるホテルで会い、向こうは飛行機代の支払いの提案までしてきたが、この仕事がダメでもフランスへ行くことに決めていたので断って自分で経費は出した。しかし宿泊場所は調度あきが出る予定なのでそこで泊るように指示された。

 10月のどんよりした低い雲のパリに朝一番の便で着いたら、若いフランス男性と小柄な日本男性が迎えに来ていて、お店を紹介されたのはいいが、今晩の泊るところも決まっていないと言うことを午後6時になって聞かされた。そんな馬鹿な。

「疲れたあ、アンカレッジ経由で一日かかってやっと着いたあ」

「眠たい」

「助けて」


  「仕方がないわね」

当時、秘書をやっていた金髪の、それでいて日本語が話せる美人の20代の女性に連れられて、すぐ近くのルーブルホテルへ行った。

 通された部屋はシングルベッドが部屋中を占めている小さなうすくらい部屋だった。

壁臭い、大きな分厚い扉に垂れ下がった重苦しいカーテン、骨董品かと思われる大きなどす黒いたんす、窓からは何も見えない、見えるのは向かい側の別の窓と崩れかけた外壁、部屋に続く扉の向こうにはこれまた小さな小さなシャワールームがあったが、金髪女は言葉もできない私をうさんくさそうにホテルまで連れてきたのはいいが部屋も案内せずにただひと言、

「何で私がこんなことまでしなくてはいけないの」

「ここは超高いホテルよ」

 と勝手に一階のフロントで言い帰っていったので、電気のつけ方も知らず、疲れていたがシャワーも使わずその日はベッドにバタンキュー(つまりベッドに倒れこんだ)。

 

いったいこれが婚活とどうかかわりがあるかって、恋愛に敗れた女はと言うより、20代の後半になって回りは結婚していくのに、適齢期が過ぎても誰も決めれない自分が選んだ道、が友達の代わりのフランス滞在だから。

今の若い日本女性を笑うことは出来ないが、ただひとついえるのはあの当時、結婚に妥協や打算はなかった。自分が本当に好きになる人があらわれたら結婚してやろうと考えてもいた。 相手もきっと理想を求めていると思うと自分には何もないということに気付いた。

 だけど逃げてきたみたいでいやだから、知人には絵の勉強と言うことにした。勿論そのつもりでもあった。

 それに比べると、今娘は25歳で学生の身でありながら、相手もアメリカ人の27歳にもなる学生と同棲をし、7月に妥協も打算もなく結婚をするという。もうパリの11区の市役所に提出し、自分たちで簡単なパーティを考えている。

 「ママはお酒を知っているから、ワインの種類、シャンペンは決めてね」

それだけを仰せ付かっている。光栄なのかどうか。どういう意味だ。

日本人に娘の結婚のことを言うと、みんな

「へえー」と驚く。

 言っておくが、今娘には一銭も援助していない。アメリカ人の親の方ももう18歳のときから相手側の彼に何も支払っていないと娘が話していた。

 じゃあ、どうやって生活しているかって、アルバイトをしている。最低賃金でスッチーのアルバイトもした。生活を切り詰めて暮らしている。毎日の食事がスパゲティだけのようだ。

 日本に帰ってきて思ったのだが、友達の子供たちはいづれも「優雅」に「結婚しない」で、みんな実家にいる。

実家では母親が働き、帰ってきて「家政婦」のように子供たちの面倒を見ている。

そりゃそうでしょう。今の時代の母親は若い。よく言う話が、現代の年齢に7掛すれば今の年齢が把握できるらしい。50歳なら35歳、60歳なら42歳と言う身体年齢だそうだ。だから、今の親は若い。だからといって、それを利用するなと言いたい。

 「親離れしろ。」

しかし本当は親の方が「子離れ」できていないからだと思う。

そばにいてほしいのだ。いつか自分にも老いが来る。悲しいが必ず来る。

その時、面倒を見てほしいから今から子供を手放せない。

我田引水、なんという情けない大人たちか。

 子供は虎のように崖から突き落とされることがないから、わがままになる、大人になりきれない。家に帰れば、自分の身の回りの世話をしてくれる母親がいる。お金を運んでくれる父親がいる。これでは何も始まらない。

 フランスの子は18歳が成人であるから、家を必死に出ようとする。息子も今19歳から同棲している彼女とモンペリエで学生時代を過ごしている。

 「何が言いたいのかさっぱりなんですけど」

 おっしゃるとおり、つまり人は打算で生きてほしくはない。

 「金持ちの旦那を望んでどこが悪い」 「結婚のための条件を整えてどこが悪い 」

そのとおり、それが本当の目的ならそのように進めばいい。

だけど親元でぬくぬくと勝手に振舞いながら、金持ち旦那?それじゃそれに見合うことは何もしていないではないか。やるなら自分の力で手に入れろ。

 19歳の娘が外国へ行きたいと言い出したとき、旦那は反対した。リアンヌは大賛成だった。

「信号は青だ」と本気で肩を押した。

 この国で生きてきた自分をわかるときが娘にもきっと来るはずだとそう信じていた。彼女も異国の地で暮らせば、異国から来た親のことがわかるだろう。わかってほしい。わかった上で自分の道を進んでほしい。

アメリカから帰ってきた娘にはもう怖いものなんかなくなっていた。

今度は日本へ行きたいと言い出し、アメリカで一緒になった恋人まで東京に連れて行った。

 交換留学で出発し東京で自分で家を見つけ、自分で二年目はインターンシップの研修先まで見つけていた。私は何もしてやれなかった。旦那が入退院を繰り返していた矢先なので自分の国へも行かれず娘の世話も出来なかった。

 今、ルーブルホテルを思い出したのは私の出発地であったから。またそこがかの有名な小泉さんがお出になった大学の創立者が西洋事情で書かれていたからである。

 その偉大なホテルに泊ったのだ。格式あるホテルではあったが、これがね。私には理解できなかった。まあそれはともかく。人生の偶然がそこにはあった。

それは偶然にも娘の留学先はこの方に関係している。歴史を変えるほどの方が作られた大学であった。本当は娘はシアトル大学が提携している上智のほうへ留学を希望していた。

しかし頭がお堅い方々の反対に合い、残念したかと思うと、今度はこのゆかりの大学と提携しているフランスの大学に入り直すということをやってのけた。

 その娘が、日本の大学生活からも慣れ始めたころ、電話でこう言って来た。

 「本当にこの大学って、勉強しない学生ばっかりね」

 「びっくりしたわ」

 「いつも、遊んでばっかり」

 「こんな大学みたこともない」

 と、なんと漫画と映画にしか興味を示さない、勉強などしないその娘が口にしたのであった。

 彼女は世界中で合計7箇所の大学を経験したことになるから嘘ではあるまい。そして、こちらの服装と肩書きだけの事しか考えない幼稚な大学生とはあまり交流なく、外国からお越しになったそれぞれの国の交換留学生と英語で交流を深めたと言う。

人生勉強とはいい大学で教科書どおりの授業ではないと小畑は思っている。40歳になって大学へ通ったものが言うには恥ずかしいが。

人生を勉強してほしい。世界を見てほしい。怖がらないでほしい。偶然を自分のものにしてほしい。 「偶然」と言う字は人がふとした弾みで見つけたもの(遭遇したもの)をしかり(然り)とした形に変えていくものだと自分なりに理解している。 結婚も同じではないだろうか。

大人の親たちが子供の肩を押して前に出してやってほしい。将門に将あり、その勇気が必要ではないだろうか。

婚活より「活婚」をしてほしい。とオバハンは願っている。