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仏相な世の中、日本の中

―フランス在住ただいま帰国中―
                                                                                            小畑 リアンヌ



-交通公社で- 

  折角息子が付いてきてくれたのだから、広島へ行く計画を立てる。梅田の交通公社へ。ホテルは何とか一応フランスからインターネットで安いものを探してはいた。広島駅の近くで一室6畳の和室にお風呂付で一人3900円というのを見つけておいたが、電車賃つきで宿泊の方が安いものが見つかるかもしれないと、次の日、息子を友達の娘さんに奈良、などを案内してもらっている間に予約するつもりでいた。

 順番待ちで取った番号は105番、今95番だからそれほどまたないだろうと高をくくっていた。狭い旅行社には座れる椅子もない。二つ置いてあった背もたれのない丸い椅子はすでに若いアベックに取られていた。時差ぼけで寝付くことが出来ず疲れていたが変わってくださいとはいえずその横の壁にもたれて立っていた。すると聞こえてくる会話には驚いてしまった。

「ねえ、××くん、20万ぐらいでもいいってママが言っていたから、一番高い部屋にしようよ。」

 その声はいったいどこから出る声なのか。猫なで声そう呼ぶだろうか、どこからこんな声が出るのだろうか。気色が悪い。経験が無い。字には書けない声なのでご想像にお任せします。

 声といえばこの間、マイクを持った地下鉄の駅員さんがこれまた違った声を出していたときがある。あのかすれた変な声。聞き取れない。言っていることがわからない。

「次は心斎橋、しんはいはし、おわすへく、、、」という鼻から発音される声。

 普通に話してくれたらいいのにただそれだけのことを望むのはいけないことなのか。

  普通にわかりやすくと。喫茶店のウエイトレスも鼻から抜ける声で話しかけてくるときがよくある。

「いらはいまへ、なんひしませふか」「○○円でよかったでせふか」、、、

 戎橋を歩いていると、同様の声が聞こえてくる。やーさんの声だ。そんな風に思って顔を上げるとなんと茶髪のお化粧がたっぷりのまあカワイイうちなのだろう。そんな女の子から広告の入ったティッシュが渡される。

  こっちもただでもらえる分には弱い。ただ、このティッシュはあまりにもやわらかすぎてふにゃふにゃで今の日本にも似ているのか、使い勝手が今ひとつ。フランスのティッシュの方が適当な固さで気持ちよく鼻がかめる。手が拭ける。お尻が拭ける。まあ話はそれてはいけない。元に戻ればその茶髪の娘さんについでに道を尋ねるとさっきとは似ても似つかぬ声で。

「さあ、バイトだから知りませんけど」と返ってきた。普通に話せるではないか。

  何だこんな綺麗な声があるのではないかと変に安心した。

確かに彼女は道案内ではない。それを聞いた私のほうが悪い。ここで彼女が返事を放棄してもこちらは納得がいく。だが彼女は割りと親切に他の人に聞いてきますと離れていったが、他の人にこっちが先に聞いてしまったので彼女に断ろうと探したが、同じ茶髪、濃い化粧、派手な格好、鼻にかかったやーさんの声の女の子は心斎橋筋のいたるところにいた。どの人だったか見分けがつかない。

  こんなむんむんした残暑の中でロンドンを思わすブーツ姿だったことだけは思い出したが、何人もいる。ついに最初に聞いたその人を見つけることは出来なかった。ごめんなさい。   

それにしてもお化粧をあんなにしなくとも結構かわいかったのに、もっと自分らしく工夫すればいいのにもったいない。

 ところで話を元に戻すが旅行社では結局一時間ほど待たされ、ずっとその間立ちづけていて、自分の番に来たが、すぐ隣が例のカップルを受け付けているので話がすべて聞こえてきた。

 

「お客様、宮島でホテル予約しますか」先ほどのカップルは財布からカードを出してニヤニヤしながら払っていた。

 

「結婚式のときは海外にしようね」と彼女は例のかすれた妙な甘い声で 恋人にささやいていた。-なんだ宮島は新婚旅行ではなかったのか。ただの婚前旅行ってことか。
そんなお金ぐらい自分で稼いで出せ。

「あのうお客さん、ではホテルは、、、」「あのう、聞こえてます?」ハッとわれに返って「いえ、新幹線も自分で取ります」私は急いでその場を去った。

 そうよ自分でやろう。ホテルはネットで見つけたのでいい、JRの窓口へ行ってその日のうちに往復の自由席の切符を買った。そこで知ったのだが、大阪市内JRならどこから乗ろうと同じ値段だと。旅行社は地下鉄で新幹線まで行くことを進めていたが、割安にならなかったようだ。なぜ教えてくれなかったのか。まあ、なるべく安くしたいものと旅行社を使って豪勢にしたいものの違いなのか。トホホ、、この年になっても安い方がいいと思っているのだから。でも贅沢するときは納得のいくものだけだと決めている。

ところで友人たちはなぜ広島なのかとよく聞く、ここで話さなければならないわけがある。日本人の親としては、フランスでは他のどこよりも京都の次に有名な世界の広島、そう“HIROSHIMA”を息子に見せなければならない、原爆の意味を教えねばならぬ。人間が犯してはならぬ罪を見せることが親の責任のような気もする。それは日本という国が間違いなく実際に原爆を落とされた世界の中でたった一つの国なのだから。

  日本人が忘れてどうなる。中学時代に訪れた広島は頭の中に残っている。旦那が最後まで行きたかった場所はふじやま登山と広島だった。外人の目からは京都、奈良に次いで広島である。

当時、ミッテラン大統領が1980年についに社会党から出て当選し、彼はすぐフランス領で行われる原爆実験を封印したことがある。その後3期(14年)を勤めた後、シラク大統領に代わり、すぐに原爆実験を開始したとき、 フランス中で反対運動が沸きあがり、わたしも街頭で反対運動のマニフェスタシオン(この場合選挙のマニフェストとは違う)に 参加したことがある。署名もこちらのスーパーなどでレジに立ち集めたことがある。

  この町にいたわずかな日本人達は誰も参加してくれなかったことを心から残念に思っていた。 フランス国内の別の街に行っても、スペインに行っても当時、彼ら原爆実験反対者は真剣になって運動をしていた。 バルセロナではいたるところに垂れ幕が飾ってあった。恥ずかしながらそれまで本当に政治に興味が無かった。 でもこれがきっかけで、政治が面白くなってきたといったら語弊があるかもしれないが、興味が沸いてきた。 自分の意見が反映される政治、自分の一票が生きるフランスの政治に心がわくわくしたのも事実だ。

あそうそうついでに宮島も行ってはみるが。

息子と珍道中になってしまった。2時間かかって広島に着く。駅から5分ほどのネットで見つけたHOTELは新しかったがカンカンなる踏み切りの横だった。着いた日は三種類ぐらいのカレーをサービスしてくれた。朝は自分でコーヒーを用意する。アジア系に見えた泊り客は自分はオーストラリア人だと言った。朝から英語が飛び交う。イギリス人らしい女性、台湾人らしい男性。PCが何台も置かれていた。部屋はまだ新しくユニットバスつきTVつきで快適だったが、次の日蚤にかまれていることがわかった。息子もかまれていたからだ。HOTELにひと言言う。そうですかと驚いていた。

 広島は3000円で宮島のロープウエイ込みの乗り放題電車券が買えた。二日間乗り回りもとが取れた感がある。原爆ドーム、記念館、広島城、広島は想像以上にかわいい町だった。ちんちん電車も情緒があった。夜は広島焼きを食べたがこれには大阪のモダン焼きの方がいいと個人的には思う。すみません大阪うまれやさかい。いや十三のねぎ焼きかな。息子は今度フランスから友達を連れてきたら、京都と広島を絶対案内すると言いきった。

 

                   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

-少女の心- 

 フランスの大学が915日に始まる息子はまたあの関西空港から一人で帰っていった。本当は13日に飛び立つはずだったが、リスト待ちになりその日は乗れなくて結局14日の同じ便で飛び立っていった。パリにはその同じ14日に着き、その足でトゥールーズへそして次の日、自分の運転する車で300キロメートル離れた地中海のほうの高速に乗りモンペリエの大学へ向かいその日の授業に出るということだった。

 若いから出来るのだろうね。と変な関心をした。

 親としては心配である。だがだが彼の無事着いたというニュースはそれから1週間経ってから短いメールが送られて来ただけだった。親の心子知らず。だが言い換えればたぶん親離れしていると喜ばなければいけないのだろう。その息子からHOTMAILにメッセージが送られて来ていないかみるため毎日のようにチェックしに近くにあったホテルのPC置き場に通った。フロントに置かれた2台のPC10分ほど誰が触ってもいいことになっている。

  結局その日もメッセージはなかった。毎日のようにしげしげと通う自分は子離れが出来ていないからだろうか。いや、これは普通ではないか。うちの息子の方がどうかしている。

 その日は雨が少し降っていた。まあ、息子が旅立って、いや自分の国へ帰ってから3日しか経ってはいない。まるで常連のようにPCの前に座るようになっていた。急にとなりに座っていた折たたみ傘をもち毛糸の帽子をかぶった中年の女性から声を掛けられたというより、質問された。

「あのう、チャンネルってどう打てばいいですか」

CHANNELでしょう」

「あのう、出ないんですけど」

「はあ」

「ローマ字で入れたいんですけど」

「えっ、それじゃ、ローマ字に変換すればどうですか」

「変換、ってどうするんですか」

2という数字はどうすれば」

「あのう」

「あのう」

 要するに彼女はまったくコンピューターに触ったことがなさそうな様子で何度も何度も質問してきた。五十歩百歩ではあったが、よくこっちも根負けせず答えてきたものだ。

  「2チャンネルって入れたいんです」と言った。

  やっと気づいた私は「2ちゃんねるって、それってよくない中傷のホームページじゃないですか」

 一応フランスに住んでいてもこれぐらいのニュースは聞いている。

  すると彼女は関を切ったように話しかけてきた。

 要約すると、もしかしたら自分の写真が載っているかも知れない。

23日前に若い男の子に携帯で写真を撮られた。だから自分のうわさが載っているかもしれない。

「気のせいでしょう」とこのまま続けられては困るので少したしなめた。

 すると、実はと始まり彼女の一生に近い物語を聞かされる羽目になった。

  中学時代からいじめられていた。3回も自殺をしたがこうして生きている。じゃあ、生きているではないかそれを言うなら自殺未遂だろう。とは思ったが何も言わないことにした。

  一回目はガス自殺で、-だから死んでいないってば。手を切ったこともある。-それをいうなら腕だろう。
30年間広島に住んでいたが、仕事もなく、つい最近姉がいる十三に移ってきたけれど、姉から嫌われている。-あたりまえだ。

  友達がいない。もう生きているのがいやだ。今度生活保護を申請するつもりだ。-じゃあ、生きていたいんじゃないか。

 お金も無い。手相を見てもらったがこれからもいいことはない。-手相を見てもらうお金はあるって事か。-くだらない。ついに堪忍袋の尾が切れた。

 その場を離れることにしようした。もう聞きたくも無い、話さないでほしい。でも彼女は聞こうが聞くまいが続ける。これじゃ友達が出来ないのは当たり前ではないか。彼女の年齢は59歳。と本人はそういっていた。しかし頭の中は15歳の少女のままだ。まだ15歳の少女の方が何倍も人に迷惑を掛けないだろう。私は聞いていませんからと言っても続ける。待てよ、私はひ弱な日本女性ではない。あの暗黒の地、フランスで鍛えられてきたのだから。

 でも、また自殺されてはまずい。日本へ来てからテレビでニュースをよく見る。つい最近、大阪のDVDのお店で自殺願望者が新聞に火をつけ自分は逃走したが、その店にいた15名の命が犠牲になった。無残な死だ。自分以外の他人に殺されるなんて。

 人の目を見て話す癖のあるわたしは最後にひと言言おうと彼女の目を見た。彼女はなんとニャッとしたのだ。自分の不運を話しながら、そう、相手がそれにおののくのを楽しんでいるかのように。彼女は楽しんでいるのだ。それにやっと気づいた。

「死ぬのは勝手ですが、ガス自殺はやめてくださいね。周りを巻き込まない方がいいと思います。自殺できるあなたの方が何倍も勇気があるかもしれませんね」

と丁寧な変なお説教をしてしまった。

 彼女はまったく聞いていない様子だった。ただ話したい。誰でもいいのだ。メールを見るのもやめて、ここは引き下がるしかない。

 自分がなぜフランスにきたか、家庭崩壊、両親の離婚と死、恋愛にやぶれ、日本の家族からも縁を切られ、旦那を4年半の看病の末、亡くしてしまったこと、たった一人で異国の地で閉じこもっていたということ、1年以上何も手がつかず、アルコールに依存し、仕事もやめ、フランスの失業保険で生きていること、 学生の身の子供がまだいること、そう彼らがいなければ、自分も自殺していたかもしれないが、でも、 子供達に負の遺産は残したくない。少なくとも彼らは人生をこれからスタートさせるのだから、、、 ロンドンに家政婦の仕事を探しに行ったこと、その後、フランスにいる悪者に保険をだまされようとしたことなど、 あげれば切が無いがこの女性にはこんなこと関係ない。

   これは私の人生だ。誰が選んだのでもない。そうあの時、ひょいと飛行機に乗らなければこんなフランスに来なかった。 そして今の自分もない。でも後悔したところでどうなる人生は苦しいのだ。生まれたときからその先には死が待っている。 人に話して喜んでいるより話せなくて苦しんでいる人の方が多いこともあるだからその手に乗ってたまるか、 あんたに私の人生など話す気にもならない。しかし、彼女の思うまま死ぬなと説得はしない。そんな彼女の手には乗らない。

 決断の末、「死ぬのは勝手ですが、最後に一度ぐらい本当に誰にも出来ないいいことをして死んでくださいね。わたしはまだしていないので死ねないんです。」

 と言って、その場を急いで離れた。

が彼女の勝ちだ。その後気になって気になって、もしかして明日の朝、ニュースになっていないかとその晩は一睡もできなかった。しかも、23日ホテルに行くことも控えたのだから気の小さいこと。自分がいやになったのはこのときだった。あの59歳の女性はいったい何者だろう。

日本は10年前から自殺者が増えたと言う。年に3万人は超えるとも言う。一日に計算すると90人近くなる。交通事故だってこれほどの数はあるまい。そうあのバブルが終わった次の年かららしいが、政府は自殺対策に対して何か取ってきたのだろうか、GNP2%~2.5%なければ景気は傾く、でもGNPとかに任せているだけではないだろうか。交通事故より、病気で死ぬより自殺する人の方が多いのが現実らしい。そんな馬鹿な。今の日本はあまりの暖かさに甘えてみんなが弱くなっているような気がしてならない。だからと言って政府だけのせいにする気も無い。どこの国も生きるのに必死で何か起これば政府を打ち倒してでも反対運動をする。声を発する。なのに受身の日本は変らない。なぜといつも思う。

 フランスはいつも生を考えている。生生しく人々は生きている。人生を謳歌している。子供手当てが大きい、昔よく言ったものだが3人生めば悠々と親が働かなくとも生きていける。少し大げさかもしれないが年金にさえ子たくさんは反映している。3人子供を生んだ女性は最低年金が働かなくとも保証されている。それは子供を産むことによって国に貢献しているからだ。

  日本にはそれがない、生もうとしても、病院さえ確保できていない。今度は育てる場が無い。預かってもくれないでどうする。それよりも何も若い人たちの生活が保障されていないセーフティネットがないから、結婚できない、行き着くところはこれからの世界を担う子供のいない国になっていることに早く政府は気づいてほしいのだが。無理だろうか。

 生という言葉をふんだんに使った。そう生きるために何が必要か。 自分を見失ないために生きるということを見直してもいいのではないか。えらそうなことをいうつもりもないし、 そんなにいいことをしてきたわけでもない自分は人にこうしろとはとてもいえるような立場でもない。

  でも、なぜみんな必死にならないのだろう。もう我慢が出来ないなら、フランスのようにもっと声を 上げるべきだ。なぜ行動を起こさない。

  フランスの高校生達は将来が心配で、今の政府のやり方が少しでも変ると、 国をあげていっせいに立ち上がる。親も立ち上がる。全国で同時に抗議運動が展開される。こちらは本当に毎回の抗議運動で 迷惑をこうむっている。彼らは働いているわけじゃない。だから簡単に集まることが出来る。簡単に行動が起こせる。 別に生活がかかっているわけでもないのだからと今までは冷ややかな目で見てきた。

  でも、若い彼らはこれから先大人たちが 勝手に作る法律に立ち入りたいというのも不況の中、わかるようになってきた。一本の枝はすぐ折れる、でも三本の枝はそう 簡単に折れない。集合することによって彼らは力を強めてきた。もちろん彼らの中にもその行動さえ反対するものもいる。 一度集会に出席したことがある。別に彼らは軽はずみな行動しているわけではない。何時間も、何日もかけて彼らは話し合う。 その結果、賛否を取って運動しているのだ。これこそが人生を学んでいっている本当の姿では無いか。

 しかし、秋葉原の事件といい、日本は本当に変わったものだ。いつからこんなに病んだ国になったのだろう。病んだ連中が多いのだろうか。画一でしか行動を起こせなかった唯一の国日本が今や一人一人が別々に考え、勝手に行動している。なぜ公の連中にものを言わない。アメリカもオバマ政権誕生で湧き上がっている。意固地に政権を続けたい政治家は自分の党のみが一致すれば何でも出来ると思い込んでいる。誰一人として国民に対してものを言わない。今、非常事態なんだってば。

 誰か一人でも、私が必ず国民を守るといえないのか。今、本当に必要な真の政策を考えてほしい。無駄金を使う余裕なんて無いはずだ。あのイラクで首を切られた若者は日本人として日本国民として何もしてもらえず死んで行った。フランスから見ていてそれに対して国民の冷ややかな態度だったことが今までもわすれられない。

 私の頭の中ではロンドンの65歳ぐらいのわがままなさびしい日本人男性との出来事が頭を霞めた。このときの様子は次の機会に紹介したいと思う。



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