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番外編

番外編その2

2010年   NEW

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大人のための新しいネットワーク「club willbe」








                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     


仏相な世の中、日本の中

―フランス在住ただいま帰国中―
                                                                                            小畑 リアンヌ



-食堂から消えた物-

 人っていつでも食べなければいけない。食べなければおなかが空いてくる。おなかが空いてくると機嫌が悪くなる。機嫌が悪くなると人生がいやになる。。。。

 私の場合、変な話どんなものでもおいしく感じる。食べると心から幸せである。本当は私こそ「味オンチ」かも知れないがよく食べる。それも昔から普通の人よりかなり量が多い。大食いである。女でありながら量が多いと馬鹿にされる。腹も身のうちは私には程遠い。

昔、日本で働いていたころは社員食堂で普通に食べ、その後反対側のうどんコーナーでまた食べるというのを繰り返した気がする。腹が減っては戦は出来ぬ。やはり、ちゃんと食べない人は動きが鈍いような気がする。

これってエネルギーの問題で、ちゃんとエネルギーを消化しない人は人間でもCO2が発生する。なんてね。

それでも年とともに量はかなり減ってきた。そうなると質が問題になる。

 高校生のころある工場の食堂でクラスの友人三人とアルバイトをしたことがある。夏のひと月間であったが今でもはっきり覚えている。食堂は男性ばっかし、長いテーブルには本当に大きな鉄のやかんがいくつも置いてある。私たちは要するに残飯集めだった。汚いし、

「若いお姉ちゃんのやることじゃあないな」と労働者のおっちゃんたちはおっしゃる。

でも、結構最後までやり遂げた。当時は辛抱する木に金がなると教わったが今は違うのだろうな。

クラスメイトの方はと言うと三日もしないでやめて行って、どこかの喫茶店でウエイトレスとしてアルバイトを始めてしまった。

私も誘われたが最後までやらなければ気がすまない性格と当時も今も容姿的についていけないので、ウエイトレスをやるのは本当に恥ずかしくて出来なかった。工場に一人残り辛いけれど最後までやり遂げたことが今でも役に立っている気がする。

あのときのことを思い出すときがあるからだが、場所も工場の名も忘れてしまった。

ただ、思い出すのは人間って食べているときが幸せなんだなと。

若いある日、この「リアンヌ」もレストランに背の高いかっこいい男性と入ったことがある。そうなのだオバハンにもそういう時期も一応あったのだ。だが、その彼は、

「僕は女の人がパクパク大きな口を開けて食べるのを見るのが好きじゃないんだ」とおしゃられた。

 -あのな、人の幸せを奪う気か。

 「私は男の方が小指を立ててコーヒーをすすっているのを見るのは好きじゃないんです」

と言いたかったが、そのまま出てそれから会っていない。今なら言えるのにな。時は人をこうも変えてくれる。

 ある日、商店街の食堂みたいなところに入った。レストランというにはふさわしくないような気がする。そのとき一瞬、昔のイメージの労働者の食堂が浮かんできた。

幸せがよみがえった感じがした。

もう、午後2時は過ぎていたのではないだろうか。でも、いつでもどんなときでも日本では、何も言わずには入っていくと、元気な声が飛んでくる。

「いらしゃい、お一人様ですか」

「ハイ、いらしゃい!」カウンターの向こうからも声がかかる。

そして、一人でそこにあった週刊誌を握り締めて、どこか空いているとこはと探し始める。そこは狭い食堂だったので探す必要もないが、4人の席に腰を落ち着ける。

すしそば定食、握りすしにそばがついて650円。安い。

奥のカウンターだと一人で座れそうだったが、ごちゃごちゃ荷物が置かれているから、それをかたずけてまで座ろうとは思わないし。もう若い兄ちゃんタイプの男性が一人座っているし。大きな声でカウンターの中のおばちゃんとテレビを見ながら笑いながら話しているし。

平凡だけど、ここは幸せだなとぼんやり考えていた。

反対側には4人席を、つい立だけで分けて、22人用を作ってはあるが、それは「だまし」のようなもので、相手の顔が丸見え、これには合点が行かない。

 なんじゃ、顔が見えるならつい立の意味がないではないか。でも、分けているという気休めだけで、日本人はOKするんだろうなあ。

そこには灰皿が置かれていたから、もし誰かが座ったらこっちには煙が完全に来る。タバコは嫌いだ。だから4人用でいい、誰かが入ってくれば「どけ」ばいいのだから、早く食べようと。

フランスはいちいちレストランに入ってもある行事を行わなければならない。狭い入り口で待って、人数を言う、そうするとウエイターかウエイトレスが案内してくれる。気に入らない場所もあるが人数によって決められる。

 近頃は、フランスも家族ばかりとは限らないから二人用のテーブルが支流だ。小さい二人用のテーブルをあわせば4人用になる、もうひとつあわせば6人用になると言う具合で、入り口で待たされる間に彼らは人数分の食卓をパッパッと作る。

 でも、まだお一人用がない。恥ずかしいから、あまりと言うよりかまったくレストランに入ることもしなくなった。

 日本人は本当に幸せだ。お一人様のスペースがどこでも作られている。こう言うのは時代を反映しているの、それともいち早く市場原理を見抜いた日本の技なのだろうか。まあ、どちらにしても便利がいい。

 5分もしないうちにお膳に乗った定食がガチャンと置かれた。

 あれ、紙ナプキンを探し始めたが見つからない。いつも必ずひざの上に載せて食べる癖が出来ていたのでどうしたものか。

 が、紙のナプキンがない。どこのレストランにその後行っても気づいたが、いつの間にか日本からナプキンが消えていた。

 そんなあほな。でも間違いがない確かにナプキンがない。それとも庶民のレストラン=食堂だからか。いや、すし屋も、でもすし屋はお手拭があったような。立ち食いそば屋も、ラーメン屋も、お好み焼きやも、喫茶店も、、みんな無くなっている。

 少しでも経費を減らすためなのか。

そういえばフランスでも昔はカフェを注文すれば一杯の水が一緒に運ばれてきたが今はもうない。この間「お冷」をくれと言ったら、自分で持って来いと言われた。

そうか世の中はみんな何とか経費を減らそうとしているのだな。無駄がなければ不足がないかもしれないが不足だらけだ。

 今回、日本にもアメリカ式カフェ「サンマルタン」「スターバックス」などがいたるところにお見みえしたのには驚いた。6年も経つと変るのかな。

 

パリではメトロのオペラの角にある。娘はアメリカ帰りなのでここがお気に入り。娘が並んで注文する。私が二階のソファを陣取る。これがお決まりだ。そこでBOOKOFFで買ってきた雑誌を二人無言で読みつくす。

いくらのんびりしてもウエイトレスが早く帰ってくれとテーブルを拭きには来ない。それがいいのだろうけど、コーヒーを紙コップで飲むのには抵抗がある。娘は平気だ。

 そういえば、日本では京都駅の近くだったけど、昔自分のコーヒーカップをキープできた。コーヒーいっぱいの値段が確か500円、当時としては本当に贅沢だ。まあ、男性のようにウイスキーキープではないのだからこれぐらいの浪費はよかったのではないか。

いつの間にか紙コップで、しかも高いお金を払って飲まなければいけなくなったのか。洗うための水という資源を大事にするためか、それとも木から出来た紙という資源を大事にしなければいけないのか、それが問題だ。

いっそのこと、アラブ人というかイスラム教徒のように右手は食事用、左手はあちら用というように分ければいいってことか。

まあそれはともかくフランスではトイレの紙がいつも切れている。わざとではないかと思うほどだ。しかも彼女彼らは普段からテッシュやハンカチを持たない国民。

今日も手も洗わずに香水をぷんぷんさせながらパリジェンヌがスーと出て行った。ということはあの時も拭いていないのかな。

 そのうち日本も、いや世界中、トイレの紙も水洗用の水も自分で持ってこなきゃいけないのかな。MY箸、MYウォター、MYペーパーか。まあ自給自足の精神はいいことである。

                   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

-温泉フルコース-

 日本に帰国すると、大概の外国帰りは温泉に憧れる。露天風呂に入りたい。私もその一人だが、温泉地へ行くのは費用がかさむ。しかし、このごろは安い街の温泉があるのだ。友達と一緒に朝早く大阪のど真ん中の温泉に遊びに行った。始めは彼女から温泉に行こうといわれたので、この近くだから有馬かな、なんてぼんやり考えていたが、

 「違うわよ、市内にあるねん」

 そういえば、この間日本に来たときも、新今宮の近くのビルの温泉施設に行ったことがある。

そこは駐車場を降りてからエレベーターで上がると、視界には大きな玄関が見えてくる。まるでホテルのチェックインのようなというか、また旅館の大浴場ののれんをくぐったときの感覚に似ているが。少し違った。

まるでお風呂屋のスーパー化のような感じと言えばいいのだろうか。入場料は千円。これは高いのか安いのかわからない。

まあそれはともかくとして女性にはその日は格安料金だったらしい。一日中そこで過ごせるくらいの娯楽システムで、下の階にはレストランも裸同然で行くことが出来る。

まあ、リアンヌのような裸一貫の人間にはあっている。

 お金を払った後はロッカーに荷物を入れ、裸で鍵カードだけを持って歩き回る。ピンク色の割烹着のようないやむしろムームーのような服に着替えて、それこそどこでも、そのピンク割烹着で探検ができると言う具合。ロビンソン・クルーソーや。

 しかしこれって本当に品のないピンク色だな。いくら汚れが目立たないからだとしても。もう少し違った色と形があるだろうに。

 サウナもあれば塩風呂もある露天風呂もある、いくつあるのだろう。つまり温泉のフルコースである。あっちに浸かって、こっちに浸かってまるで水遊びを楽しむ渡り鳥。鳥インフルエンザは大丈夫だろうか。

 おなかが空いたのでレストランへ、そこでは食べた分が持っていたカードで換算される。

「しかし割烹着ではスカスカしてへんやな」

「ええやんか」

 そうか、ええやんか、ええやんか、何でもええやんか、なんか百姓のええやんか一揆を思い出してしまった。

 疲れたら、今度は大サロンのようなところがあって、そこには100席ぐらいのマッサージ機と毛布が置かれていて、前には10台ぐらいのテレビが壁にセットされている。まるで映画館のような、こっちの画面ではNHKニュース、あっちではドラマ、一台はバラエティという具合でチャンネルを自分で選択できるようになっている。

 しかもマッサージのソファには自分用の聴音機まで取り付けられている。

 よくここまで、商売を考えたものではある。たくましい商売根性ではないか。日本人に備わった、いや大阪人に備わった根性であるが、しばらく忘れていた私にはどうも居心地が悪い、ゆっくりすることが出来ない、こしょばい。と言うのだろう。

 そこでは泊りもOKで朝まで過ごすことも出来たが、なぜか背中がぞくぞくするので帰ることにした。

 そういえば、丘の上のお風呂屋さんにも行ったことがあるな。そこはスポーツセンターと一緒になっていて横にはテニスコートもあった。車でしか行けないところを息子と散歩がてら歩いて行ってみた。

 何回か道を尋ねると、

「ほんまに行くの?」

 「ああ、あんなとこまで歩いて行くつもり、無理でっせ」と犬を散歩させていたおじさんは言った。

「まあ、がんばってや」

あたりは暗くなってきた。一メートル以上に延びた草むらがぼうぼうとしている。ライトアップがない。引き返そうかなとも思ったが、遠くには温泉の火が見える。

目指せ、千里の行も一歩より始まるからいつかたどり着くに違いない。

息子の建前ここで引き下がるわけには行かない。しかし、ここはなんじゃ、歩道が整備されていないところへよくこんな施設を作ったものだ。

これも高度成長期の賜物か。車のないものが来れない温泉。たどりつけない温泉。ガソリンだってそのうち高くなる。温泉に入るのにCO2をどれくらい出せばいいんだ。何を考えている。

 50分かかってやっとついたときにはかなり汗をかき足もふらふらだった。

 息子が日本最後に温泉に入りたいと言ったので空港の近くの、遠くに見えていた「あれがパリの火」ではないが、丘の上のお風呂が目に入った。

 結局、夕方の730分だったので夕飯時だったのだろう。誰もいなくて広い湯船を独り占めに出来た。大きな窓からは阪南の町が見え、綺麗だった。息子の方もひと一人もいなくて独占できたそうな。私のほうには子連れの親子三代があとで来た、娘と孫と、いいな。独占するのは悪いので出ることにした。

 でもこれでいいのか。客は私たち親子とあの親子三代。その施設はもう買収されているとか。簡単に施設を作り簡単に、他へと譲り、つぶれていく。

  お金儲けだけの施設はいつかはこうなる運命なのかな。市場原理が崩れればこんな施設なんてどうなるのだろうか。倒産するに決まっている。これからいくつの会社が倒産するだろうか。恐怖である。地すべりの日本は土台を誰が立て直すのだろうか。




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