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番外編

番外編その2

2010年   NEW

反響を呼んでいます!!

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大人のための新しいネットワーク「club willbe」








                          


仏相な世の中、日本の中

―フランス在住ただいま帰国中―
                                                                                            小畑 リアンヌ



-居酒屋を出れば-

 変な人から買わなくて済んだことはホッとした。写真の旦那に報告した。そしてその夜は十三の居酒屋で女友達とやけ酒を飲んだ。彼女は白ワイン、わたしは酎杯、これって反対だろうが。人って本当にないものをねだる。まあ、日本に来てまで白ワインは飲みたくないだけの話だが。

 時はまさに阪神が勝っていた。横にいた三人の男性のタバコの煙がキツイ。嫌いだ。ところかまわずのふかすだけの他人迷惑タバコ。人の迷惑って考えないのだろうか。

 近代の先進国でタバコの規制があまり無い国。 それは日本だと思う。ところかまわず、老いも若きも、男も女も、レストランでも喫茶店でも、 公共の場でさえ何の遠慮もなく吸える国はやさしい日本?。煙たい国だ。菊水はなくともわざわざ命を縮めることもない。

 そういえばあの時、打ち合わせで不動産やと喫茶店に入ったとき、前に座った例のイケメン20代の不動産経営者がタバコを取り出して、

 「あの、吸ってもかまいませんか」とライターにもう火をつけ始めてたずねてきたことがある。

 たずねられたのだから、返事をした。

 「いいえ、困ります。遠慮してください」とね。

 彼は一瞬驚いてこっちを見て、残念そうに、ライターを消し、タバコを背広のポケットに仕舞い込んだ。大概はいやだと思っても「どうぞ」と言うその返事を彼は期待していたのだろう。でもリアンヌはそんなあまちょろではない。はっきりものが言えるのだ。しかしこの不動産やさんは以外ににも誠実な人だった。

 こっちへ帰ってきてタバコの弊害にはもうあきれ返っている。昔好きだった喫茶店なのに、もう入りたくも無い、レストラン、時にはすし屋でさえ、平然と食べる前にタバコを吸うやからがいるからだ。

 やめてくれえーー

 煙が立ち込める中、そりゃそうだろうこんな狭い居酒屋で三人でタバコをいっせいに吸えばいっぺんに霧の摩周湖に変身するのは。

 うるさくついていたテレビでは巨人が試合の相手に勝ち、阪神の勝ち負けを待つことになった。最後は阪神が逆転負けでその場で巨人の優勝が決まってしまった。

 ここは大阪なので暗いムードが押し寄せたが、そのおかげで居酒屋にいた78人の客がやってられないと煙といっしょに帰り、綺麗な空気が扉が開かれるたびに入ってきた。店を見渡すとわたしと友人、奥のほうにタバコを吸わない男性の客一人しか残っていなかった。午後10時という時間帯でもう客のいない居酒屋、やはり日本は不景気なんだ。ここは庶民の居酒屋なんだけど。

 人は面白いもので、不景気になるとまず控えるのが、高級レストラン、デパート、貴金属、海外旅行、洋服、でも近くには行きたい、安いお弁当は食べたい、と今度は安物買いが始まる。かく言う私も絶対に高いものには手を出さない。が、真剣に選ぶ。気に入るものでなければ絶対に買わないし妥協もしない。だから時には値が張るときもあるが、人が三回買ううち一回しか買わないのだから計算上安くなる。

 今年の夏、フランスに遊びに来てくれた東京の友達夫婦はこんなことを話したことを思い出した。カンボジアに旅行に行ったとき、たまたま別のカップルと食事を添乗員と共にすることになったそうだ。そのカップルが億の単位がつく別荘を買ったと話していたと言う。

 こんな不況の中で、でもそれよりも「何もそんな値段を添乗員や見も知らずの人に言う」と彼女は驚いていた。千畳敷で寝ても畳一枚の考えの私はワンルームでいいんだけど。でもやはりあるところにはあるものだと今更ながらにしらけてしまう。これが格差でなくてなんだろう。

 午後10時半すぎ、ついに客は一人もいなくなっていた。さあ、かえろ。しかし女友達と二人で夜11時、よぱっらって十三の夜の町に出れる。ここはパラダイスか。いい国だな。ちっとも怖くない。こんなことフランスでは簡単に出来ないな。

 

 パリで日本人同士が、居酒屋ではないにしてもレストランへ行くことはある。ある一人の友人は、バッグをなんと二つ持っていた。ひとつはコートの中に隠し、別の黒いバッグはコートの外にたすきのように掛けていて、彼女はこう言った。

 「このサック、ダミーなのよ。イザというときこっちを泥棒に渡せるように。」

 「この黒いサックの中にも一応お財布が入っていてね。少し現金も入れてあるのよ。疑われないようにね。でもこれもダミーよ」

 泥棒にご親切にそこまでするのか。とも思ったがこれがフランスで住むものの知恵としかいいようがなかった。バッグを奪おうと襲われたときダミーを渡せばいいと。

 

 それに比べればここは十三だよ。夜の11時だよ。女二人だよ。まあ、年齢はそれ相応にいっているが、暗ければわからない。いくら日本は危険になったからとダミーまではつくらないだろう。と内心思った。

 

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-衣.食.住- 食ついでに住

 持つものは友というが、本当に実感している。家族がいながら絶縁しているから、朋友は六親にかなうではないが友人は本当にありがたい。今回の帰国滞在中の2ヶ月近くの間に、実に30人以上の友に会って食事を共にした。その家族、知人を入れれば倍ぐらいの人と会っている。今回のように不動産やなどの関係者を入れれば120人はとっくに超すぐらいの人と会って話している。平均12人とは話したことになる。そこに買い物などのこまかい人とかの会話を入れたら、これまた倍近いのではないだろうか。

 友人のマンションは今は使用していないとはいえ、無料で提供してもらい一人で借りていたので、結構日本で言う「おひとりさま」の生活はした。

 お一人様にはフランスから慣れていた。他にも何人かの友人はそんな私を気にしてくれて、誘ってくれるが、住むところ、テレビがあると億劫になる。こんな私が以外にも外へ出るのは億劫では無いが人と会うことに億劫になるという変な症状が現れ始める。友人は大切にしたい。ここにいる間是非とも会っておきたいと思いつつ、会わずにいた友人もたくさんいる。

 昔、勤めていた会社に立ち寄った時、会いたいと思った方々の電話番号を聞いた。しかし、

 「個人情報保護の関係上教えられません、その方にまず連絡してから、了解が得たらお答えします」と言われ、

 待っていたら、帰国寸前に連絡してきたので会えずに帰ることになった。

 

フランスも電話帳に個人情報を、なんて、たかが電話番号と住所ではないか、載せたくないときは、逆に料金が高くなる。何故だ、反対だろうが。これって近代社会が生み出した商法ではないのだろうか。

 

まあそのことは後で考えよう、ここ日本では“おひとりさま”ができるのである。簡単である。何でも揃っている。買い物がしたくなるとマンションの下にコンビニがある。一人用の100mlぐらいの小さな小さな醤油まで売っている。オドロキ。

「おひとりさま」の弁当もいくらでも手に入る。自分で作らなくともいくらでも手に入る。たが、それらの食べ物は大勢いの人の口に合わせてこしらえているので、そうなると本当に味が濃い。甘い。

 皆に喜んでもらえる物はどうしても味が濃くなるようだ。

 お好み焼きやを昔経営していた友はそう言った。わたしは母ゆずりの薄口である。だから困った。何を買ってきても作られたものは味が濃い、甘い。これじゃそのうち口に甘きは腹に害で日本にいる老人もそのうちだめになるなあと一人で思ってしまった。へえ、何でそこまで話が飛躍するのと言われるかもしれないが。

 そのときそう思ったのは、もし子供に何でもほしいもの与えたら判断がつかなくなると同じで、自分の好きなものだけを求めてしまうような。誕生日といえばマクドナルドだけで子供は食事が済ませられる。フランスと同じだ。

 でもフランスの学校では親が作ったケーキを持ってくることは今も、幼稚園などで残っているらしい唯一の行事らしいが。

 今回本当にどんなレストランへ入っても味が濃い、甘い、そう感じた。それがおすし屋であろうと味噌汁の味が濃くなっている。おすしの上のたれがたっぷりかかっていて、濃く、甘くなっている。そう思わないならみんな味オンチだ。

 

 フランスに近頃進出した、こちらではそれをたとえて「キノコのように」と言うが。どこにもかしこにも生えてくる「日本レストラン」のたれはお醤油にたっぷりお砂糖が入った味のみ。それにあわてた日本はミッシュランのような証明書を出すと言う騒ぎだが。

 

 そのうちお年寄りの歯は早い時期に退化するのではないだろうか。日本の文化はもともとお箸であるから、お料理は最初から切ってある。便利でありがたいことだが。それが反って何もしなくても箸をつつくだけである。ましてや食事をこしらえなくなったら人間はおしまいだ。衣食住、昔から生きていく基本は変らない。だから食が変れば人間にも変化がおきてくる。

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 幸いにも、と変な言い方になるが私には試練が待っていた。この外国で登記簿、病院の費用、旦那の会社、自分の仕事、失業の登録、遺産、家の保険、ありとあらゆる書類の整理におわれたのはいうまでもないが、外国人にとってはフランスは個人主義のわれを第一に考える人たちでうめきあっている、そんな中ではことはうまく運ばない。

 しかも悲しみで半年以上は誰とも話したくない。が、代わりにやってくれる家族も、知人も、友人もいない。疲れて、やりきれなくて毎日のようにウイスキー片手に午前様でベッドにもぐりこむ生活、そして一人で暮らすには大きすぎるレンガの家とぼうぼうに生えた芝生の庭だけが残った。

 家というものは不具合など色々なことが起こる。まずは雨戸がしまらなくなった。ストール式なので閉まったまま開かないとなると日中でも暗い闇の中である。仕方がないから一人でねじ回し、かなづちとのこぎりを持って全部解体した。次にお湯が出なくなる、どうしてもわからない200Lのタンクをこのか弱い女手で動かすことが出来ない。次はトイレの水洗が止まらなくなった。タイルが外れる。玄関が閉まらない。冷蔵庫が動かなくなる。パラボラアンテナがおかしくなる。オーブンの電球が切れ、そこについていたカバーが壊れる。問題を挙げてみればきりが無いので書かないことにするが要するに次から次へと故障して行った事になる。

 そりゃ20年前に建てた家だから当たり前だろうといわれるかもしれないが、そうではない。フランスではまだ新築のうちだ。なんせ100年は持つ家が殆どなのだから。この場合、家自体のことではないが。じゃあ、修理屋を呼べばいいじゃないか。

 とんでもない。修理屋なんて便利な商売はフランスには存在するのかも怪しい。

 あるときタイル張りを頼むのに二つの業者に来てもらって見積もりを頼むと。一人からは500ユーロ、もう一人からは2000ユーロを請求された?。何故だ。どちらも材料抜きである。だから自分で買いにいかなければならない。

 

当然のことながら安い方にしたが、その後手付け金として30%払った後一カ月立っても誰も現れない。見積もりのとき、一人暮らしがわからないように以前住んでいた家族分の靴を並べたりもした。そこまでしてもこの国では何も進まない。

 お金は結局返ってこなかったので、次の業者に頼んだが、これまた大変なめにあったと話せばこっちも切がない。だからタイル貼りも、トイレの水洗の修理も、温水も、全部時間はかかったが自分でした。今は小さなカーブ部屋を自分でレンガとセメントで作り始めている。本当に鍛えられた私が家のことでまだやったことがないことは電気配線と水道管工事だけだと思う。それ以外は出来る。本当かなと思われるかもしれないが、「女」に二言は無い。ここに写真入で添付してもいいぐらいだ。

 30Mもつづく庭の垣根は毎年一人で刈る。二本ある樫の木、長十郎のなしの木、イチョウの木、さくらんぼうの木すべて自分で剪定する。黒松の木もあったが毛虫病にかかりすべて幹から切ってしまった。女剪定人でもある。ある意味、女必殺人にもなりたいのだが。

 近所の人たちは親切で雨戸のときは一緒に重い回転式の2Mの長さのアルミのシャッターを持ち上げてくれるのを手伝ってくれた。呼べば何かあると来てくれる。でも、それ以外はこちらから頼まない限り一切彼らから申しでてくることもない。

 それに甘えても行けない。だからやれる範囲で自分で直すことにしている。もう、この近くの3箇所ホームセンターのお客様カードも持っているくらい女大工である。

 つまりDIYならお手の前、何度かホームセンターでやっている講習会を受けたことがあるが、私より知らない講師がいたことのほうが多いので、若い彼らは売ることには長けているが、実際自分で直した事もないことを講義するなんてことはへっちゃら。だからもう講習は受けないことに決める。が、そんな彼とはお店に行くといつも握手をする習慣にまでなった。

 「マダム、サバ?(鯖はフランス語でマクロと発音するが、なんて、ここでは調子いいかいって感じ)」-鯖とは関係ありません。

 「3年ぐらい使ってる暖房機が故障したんだけど、、、」

 「それは買い替えだね」

あのな、買い換えるくらいなら、こんなホームセンターになんか来ない。ここにも話しにならないやつがいる。

それ以外は一人暮らしは本当にモノトーンで自分から動かない限り実に寂しい。

お酒に頼った無駄な日もかなり過ごしたが、ある日、近状の人のひと言がわたしをそこから引き出してくれた。

 「わざと声を掛けなかったの。だけどみんな心配しているのよ。何か必要なことがあったら遠慮なく言ってね」

 と玄関口で、手には自家製の野菜スープが握られていた。

 これは同年代の金髪の隣の奥さんの言葉だった。日本人より日本人らしいその言葉に感激し、次の日、彼女の旦那に雨戸の修理を手伝わせたのであった。

 フランスで、ある老人がパリのアパートの一室でなくなり、何ヶ月か後に発見された事件をきっかけに“お隣りパーティ”というものがある。

  わたしの近所にも年に一回“いわしパーティ”と言うものをする。それはバーベキュウでいわしを焼いてみんなでワインやケーキを持ち寄って、椅子、テーブル、食器を持ち寄って夕方から真夜中ごろまでワイワイやる。子供達にはこの地方特有のソーセージを焼き、最後みんなが焼いて持ってきたケーキで締めくくるというものだ。わたしたちが悲しみに慕っている間、中止になっている。

 

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 自分で何かを始める、いやしなければ何も始まらない生活の中では人間は強くなれる。とえらそうに言ったがおかしなものでワインやウイスキーだけでは生きて行けない。

 「グウウーー」おなかが空いてきたのだ。腹減り「女」は腹立ち「女」最初のうち簡単に残ったものを食べる。それがなくなるとこんな中でも人って食べるために動けるのだと自分ながらに感心した。

 お料理を作り始めた。自分用に、なぜ自分用か。それはいつも家族4人前作っていたものにとっては、一人前の量がわからないという変なジレンマが現れた。

 当たり前の話だが4人前作ると4回同じものを少なくとも食べなくてはいけなくなる。それがいやであまり作らないと、食べるものが何も無い。

この国にはコンビニが無い、おいしいお弁当が無い。レストランは超高い。しかも一人では入りづらい。だから、家では一からお料理を作る必要性がある。餃子が食べたいと思っても餃子の皮が無いのである。そうなると粉から作る、種を自分で工夫して作る。皮はちゃんとしたものではなかったので途中でネチャネチャ。

でも、良し悪しでここには中国の毒入り餃子におびえることもない。カレーもルーがない時はルーから自らが作る、だから毎回違う味が味わえる。冷凍ものを買わないわたしは自分で冷凍ものを作る、そう残ったものを冷凍するという作業に打ち込んだ。それでも同じものを食べたくなかったから、解凍したあとも別のお料理に替えるという裏技を覚えた。

 

 日本人には忘れてしまった物がここにはまだある。便利さもいいが本来自分で作るお料理、母が作る料理、父が作る料理、おばあちゃんが作る料理、おじいちゃんが作る料理があってもいいのではないだろうか。

 日本にいる間、外食の方が安かった。そんな筈はない。でも実際に安いものがあるからそれを買う。もちろん一人で野菜炒めなども作ったが、その材料を買うのにスーパーに行くとこっちの方がどうしたって高い。なぜだ。わからない。

いったいどんな仕組みがあり、どんなところから仕入れているのか。やはりわからない。どこかに私達に隠れた「やばい」ことがあるからなんてね。

300円の弁当がある。 それを作るのに倍以上はかかる。やはりやはりわからない。フランスではバケットにハムだけを挟んだサンドイッチも 倍はするから買えない。もちろん、大量生産だからだろといわれるかもしれないが、本当にそうだろうか。 一度も疑ったことはありませんか。




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