-不動産- その1
今回の日本帰国は“終の棲家”を探すのが目的であったと最初に書いた。だから日本へ着いてから忙しかった。今までにいやもう何年もまえからフランスからインターネットで探し始めてはいたが、実際となると難しい。かなりの安い物件を検討し、調べ上げ整理はしていたが、実際になると本当に難しい事は承知しているつもりでいた。
そんな中メールで連絡すると、「急いで申し込まないとなくなりますよ」というような誘いを何回も受けたこともある。やはりいくら安いワンルームでも自分の目で確かめなければ決めれない。買いません。大根を一本を買うわけじゃない。大根一本だって真剣に悩む。
思い立ったが吉日何度か、 詳しい内容が聞きたいのでフランスから電話を掛けた。
「どちら様ですか」
のあと、必ず
「今日は担当のものが出かけています」
「こちらから担当のものが掛けなおします。お電話番号を伺えますか」とか。
「少々、お待ちください。担当のものが変ります」
そのたびに早く変ってほしいので「すみません、フランスからです」というと、
「フランスのどちら様ですか」とのんびりとまるで 喫茶店“ふらんす”のように言われることにも慣れて来た。
大概は「少々お待ちください」と少々の割りに何分間も受話器を置かれてしまうこともあるが、不動産会社は結構親切だ。ある担当者はあわてて、平謝り、でもこちらは謝ってる姿は見えないがたぶん頭をぺこぺこ下げている姿が浮かんできてこんな風だと想像は出来る。
兎に角、今は日本にいる。友達に息子を預けて、その息子は迷子になるような年齢では無いが、連れて歩くのも自由では無い。そしてやはりとにかく物件を見まくった。そう見まくった。不動産屋にはわざとその物件がある場所をこちらから指定してそこに行きながら、そこから車に乗せられ別の物件を見せられるというのも多い。何故だ。そんな中、かれこれ3件にやっと絞りその中で決めることにした。安いとはいえ、こちらにしては一抹の不安はぬぐいきれない。
まずは現金でかえる30年ぐらいの安い30平方メートルぐらいになった。その間リーマンズブラザーズの倒産が大いにテレビに出て、風向きが変わってきてはいる筈が、のんきな日本人はあまり関心がなくあまり影響はされてはいなかった。とこちらに装っていたのかも知れないが。これから日本も本当に「不景気」になるから「今のうちしか売れませんよ」とこちらから前置きして交渉したかったが、誰も信じないのか、それを要因にして値を下げたかったが、そうは行かなかった。こちらも予定の帰国を延ばして、登記などを終えるには時間がかかる。登記手続き、帰国日程を踏まえて決めなければならない。自分では耐震の強化の1981年6月以降にしたかったが、大概の不動産は法律はあってないようなものその年度以降でも法律を守っているかどうかあやしいと言う。フランスでは一旦法律が決まると結構厳しいものがある。
日本はまあまあと言う態度が津々浦々どこにでもある。柔軟性があるといわれればそれはそうだけど、今のこんな時期、日本はこれでいいんだろうか。
日本の政治と経済は実質並行して動いているのだろうか。今回の株安、私は株には手を出さない、というよりも知らないからやらない。が感覚で今はその時期ではないと思っているし、それこそ資本主義を同調する株には疑問がある。銀行も人々から預かったお金を利用して人に貸して利益を取っている間はよかった。安心だった。いつから銀行も株や証券や為替に重点が置かれるようになったのか。働いてもいない金持ち投資家だけが儲けられる。これではいつか破滅がくるのはわかっていたのではないか。
今日の株は8千円代まで来たと大騒ぎしている。いつか0になっても不思議では無いとさえ心では思っている。そうなれば紙切れだ。いやもう証券自体がないから唯の数字か。
資本主義の社会が音を立てて崩れて行っている様な気がする。雨が降れば桶やがもうかる。というように株で損をする人もいれば儲ける人もいると言うがそういう原理は崩れそうではないか。でも、銀行に預けた大事なお金までが株のため危ないなんて、危ない橋を渡る人のせいで自己資産は失くしたくはない。
そんな人のために血税も使いたくないリーマンブラザーズに手を貸さなかったアメリカ国民の態度は少し当たり前だ。
ひところ、うちの旦那の給料がなんと彼のグループ会社の社長の給料の100分の1と聞いたときに驚いたことがある。トホホ。社長はジェット機で世界を掛けめぐり、株でも儲けているとね。旦那は管理職まで行かないまでも一応ホワイトカラーだった。もしブルーカラーだったら、格差はいくらだったのか。想像するだけで身震いがする。
だから先ほども言ったようにゴルファーの今年の賞金額が1億円を越えたなんていう選手に心から喜んで応援する気にもなれない。スターを夢見ることも無い。何億円を稼いだタレントスターよりも、先進途上国でコンサートを開いたという人の方を応援したくなる。
政治家は動き出したのだろうか。政治家も、社長も首をくくったわけでもない、切られていくのはいつも下から、まずはハケン社員からだと思う。
誠実な母は死ぬまでこう話していた。 「一生懸命働けば食べていける」とね。その母が家族に追い出された。そして寂しく死んだ。さあどうだろう今の世の中、 一生懸命働いても食べていけるのだろうか。石川啄木ではないが”はたらけど、、、”のワーキングプアは確実に増えている。
株って世界中をお金の亡者にしている。こんなシステムはなくなってしまえばいい。確かに企業を作るのにみんなのお金を合わせば大きな仕事が出来る。でも、そこには夢を抱いて出資してほしい。一炊の夢なんて寂しい。お金でお金を増やすだけの目的はどこかわびしい。
ものづくりの出来る日本はそれで暮らしていけばいい。農業国フランスは収穫で暮らしていけばいい。いつから株に手を染め人のお金で儲けあたふたする時代になったのか。ものづくりの日本は次の世代を育ててはいない。子供がいない、育てない。育てられない。フランスは子沢山の政策をずっと以前から取ってきた。
自分達の老後ばかり、かく言う私も老後のため日本にまで来た。子供達が心配である。大学は出ても働く場がない。おまんまが食べれなければ人は何でもする悪いこともする、何でもね。
今年成長率マイナスのこの時期になってある政治家はテレビでこう言った。ハケンをやめさせられたら、そのときはスキルを磨けばいいとね。そんな問題じゃないだろう。スキルがあっても働けない時代が来ていることを知るべきだ。セーフティネットを作らなかった政治家が今更ねえ。
フランスは見事非正規者がもう一度同じ会社で雇われるときは正規とするような法律がある。当たり前だ、スキルをもった人だから続いて雇いたいのだろう。
また、住居でも11月から3月までは冬の時期であるので、どんな賃貸者が家賃を払わなくとも大家はその人を追い出せない法律がある。政治家がいつもアメリカを例に出して言うなら、少しはヨーローッパの事情も勉強してほしい。こんなことをほざいている私は管の穴から天上覗いているに過ぎないが。
人間は弱い、だから法や規則はそれなりに必要だ。なければ人間は悪いことは何でもする。でも、どこかで人間は踏み止る。フランスは見事に革命を起こし、王様の首をギロチンにかけ民主主義を作り上げた。首を切らないであまり血を流さないで民主主義を成し遂げた啓蒙の日本の方がえらいに決まっている。国家の品格を読んだとき、日本人の素晴らしさを引き出そうともがいている作者が目に浮かんだ。世界の常識を救うのは日本とね。それはまだ早い。まずは自国を救ってからだろう。そう日本の政治体質を変えてからだろう。
これを書いている間、アメリカが北朝鮮のテロ支援国家の肩書きを解除したとのニュースが飛び込んできた。またか、同盟国日本をここまで馬鹿にしている国はどこにいるだろう。国連常任国申請にあったって同盟国のアメリカが一番に手を翻して反対を唱えた。もうわかってもいいのではないのか、必要なときは同盟国、必要がなければ小国日本はほって置かれる。
確かに日本は脅威の時守ってもらえる傘の中に入っている。と信じている。でも手を簡単に翻す国が本当にイザというとき守ってくれるだろうか。少し疑問。今回アメリカは捨て身なのだ。そんな中TVで給油措置の話をのんびり話している日本は本当に平和だなあ。言っておきたいが人生には一度あることは二度あるという。アメリカ自身一国主義の体質が変らない限り、日本は同盟なんか結ぶ必要も無いのではないか。日本には平和憲法があるこれは後世に伝えられるほど素晴らしいものだ。と思う。
-イケメンって-
ところで、不動産屋との待ち合わせに30分待っても来ない。どういうことだ。この不動産屋さんは年齢が20歳後半で社長と言う肩書きを持っている。
ある日、自分も不動産を買った友人が私を心配して付いて来てくれた。一人で買うより誰かが後ろについている方が安心よと。オバハン二人で乗り込んでいった。お店に来てから彼女の態度は急に変った。そこを出てみて少し色が変り始めた銀杏の並木道の御堂筋に歩き始めたとき彼女はこういった。
「すごいイケメンじゃない」
「はあ、何それ」私は空を仰ぎながらぼーと質問を投げかけた。
「不動産屋には多いのよね。」彼女は続ける。
「そうなんだ」イケメンね。意味を知らなかった私は 「いけすかない男、MEN」だと思って、
「そんなことないでしょう、まあまあな親切な方じゃないの」と答えていた。
「いやだ、いける面づらから来てるのよ。イケメンは」
「はあ、」
フランスで男を見る目を磨いてきたものにとってはなんとも頼りない感じの 痩さ男であったが、そうなんだああいうのがいいのか。まあ、関係ないな。
私にゃそれよりもなぜ何でも略してしまうのかちゃんとしたわかる言葉を話してほしい。
そうそう確か梅田の阪急の紀伊国屋の前と言ったはず。 そういえば紀伊国屋には入り口が調度阪急電車の乗り口前にあり二手に分かれている。困った。今日は契約日だ。契約の前に少し打ち合わせがしたい。だから遅れていると言えどまだ時間はある。やつは反対側の入り口で待っている可能性もなきにしもあらず。それにしても困った。
日本でケイタイをもっていない私は連絡の仕様もない。公衆電話に向かいたいが待ち合わせの場所を離れるわけにも行かない。行き違いになっては困る。
ふと、同じようにここで30分は待っている立場が同じだろうと思われる若い男性に声を掛けた。
「あのう、すみませんが、もしよければケイタイを少し貸していただけませんか」
「すみません、今僕もケイタイの電池が切れていて」と申し訳なさそうに断られる。
それにしても人の波、他に誰かはもっているだろう。次に短い黒髪の優しそうなそれでいて、派手では無いが、服装にこだわっているちょっと粋なOLタイプの30歳ぐらいの女性におずおずと同じように声を掛けた。彼女も長く待っていたし、こっちの気持ちもわかるだろう。
しかしここで書かなければならないが彼女のひと言に腰が抜けそうであった。
「勇気ありますね。お金、もらいますわ」と言ったのである。
が、こちらの返事を待たずにケイタイを持った手はもうわたしの鼻先に差し出している。それならひと言多いんだよ。貸さずに断ればいいのにわからない。
待てよ。ここは確か日本の筈。フランスや外国と違って、と言うより外人から見ると親切な国日本なのだが、日本人同士には不親切と言うことなのだろうか。
息子がちょっと前に住んでいたシドニーに始めて一人で行った時、一時間待っても迎えがなかなか来なかったので、思い切って空港のラウンジに同じように座っていたかなり太った現地のオーストラリア女性にひどい英語で声を掛けた。
要するに「息子を待っている」「来ない」「ケイタイがない」「貸してほしい」あわてるとプリーズもなにもない。随分ぶっきらぼうな言い方だ。しかもどこの馬の骨かもわからない東洋人だ。たぶん答えはノーだと思いながらももう声が出ていた。
でも、彼女は気軽にOKをいい。貸してくれた。もしかしたら私が外国へ掛ける可能性だってなきにしもあらず。よく貸してくれたものだと感謝している。彼女はにこっとしていた。
もちろん、息子はもう家を出ていたらしく、今度は同じ家をシェアしている若い声の女性の言うことがはっきりわからないが、なんとなくもうじき空港に来てくれるということだけは察しがついた。長い電話だったのにいやな顔ひとつしなかったことが今になると懐かしいいい思い出だ。
それ以外はもう二度とあんなデズニーランドを大きくしたようなおもちゃの様なシドニーの町に行きたくはないが。
そんなことをぼやっと考えていた。日本人にはおおらかに話してくれる人は少ない。どこかでいつも警戒心がある。フランス人にもそういうところが確実にある。ここだけはよく似ているものだ。だが、アメリカやオーストラリア人となるとどこかであっけらカランとした人に出会うことがある。そんな人に出会うと旅も悪くないと思ってしまうのだが。いつもとは限らない。それはこちらが用心しているからだろうか。でも今回の場合、用心はしていない。ざっくばらんに貸してくれることを望んで声を掛けたのだった。
ケイタイを返すとき、一応、
「あのう、おいくら払えばいいでしょうか」と言って見ることにした。無論払うつもりでもあった。するとフンという態度で、
「いいですわ」とおしゃった。
その女性も、またあわてて来た不動産屋さんを見て、彼女にはこの若い男性が「私の紐」のように写ったのかもしれないが、びっくりと同時に一瞬笑みが浮かんでいるのがわかった。
ケイタイには彼の番号がしっかり残っている。
-不動産- その2
そうなのか、人に声を掛けることがこんなに難しくなっているのか。小さな親切を当てにしてはいけないのか。疑心暗示になってきている日本の社会。それは個人情報保護というモラルの中で、人間関係が薄らぎ、お金だけが信じられると思い込み、逆に人が人を信じられなくなってきているのではあるまいか。
それでなければ、それを利用した振り込め詐欺など世界広といえど騒ぎ立てている国はない。なぜ、振り込めさぎにかかるのか。銀行にまで警察が配備されていたのには本当に驚く。
私が思うには昔なら人は他人であれ繋がりがあった。近所の人が注意してくれた、町内で大人が子供を守ってくれた。それがこの保護制度になり、隣に誰が住んでいるかも詮索してはならぬと、「お上(オカミ)」から制度的に決まったのだ。そうなると不思議なもので、信用できないあかの他人、そこへ自分の息子と名乗る電話。血のつながった息子、甥が大変な目にあっている、何とか助けなければとなる。或いは信用できるお上であるお役所が銀行番号を聞いてくる。あかの他人ではあるがお上なのだとこうなる。それに何で振込先がありながら、銀行やお上が何とかできないのかとこっちの方が不思議になる。完全に証拠の指紋を残していっているようなものではないか。
フランスにはこんなばかげたことはあまり起きない。起こりえない。もともと他人を信用しない。親子でもお金に関してはシビアである。金は親子も他人。つまりキツイ。こんなところで何年か生活すれば人間鍛えられる。日本人も一度は外国へ出るべきだと思う。
いやいや契約場面はもっと不思議であった。
売主は在日韓国人女性、登記簿には韓国名が使われ、こうしてここに来てもらう人は日本名になっている。別に韓国人だからという差別意識は全く無い、本当に無い。
フランスには色々な人種がいるので、と言うか逆に東洋人である私自身がかなり差別をうけてきた。そんなことよりも何度か不動産業の方と打ち合わせの中で、登記上の持ち主の女性が一度も現れなかったことが不思議だ。売りたい本人がどこかレストランに勤めていて、まったく時間が取れないと何度も断ってきた。じゃあ、売らなきゃいい。
実際のお金の交渉には彼女の旦那と言う別名の韓国人男性が不動産屋についてきていたが、現地で待ち合わせてもこの方は車から降りようとせず黒いサングラスからこちらを伺っていた。
司法書士の方が言うには登記簿に載っている人が実際に来なければイザと言うとき知らないと押し切れるということで、彼女には判を突きに無理して来てもらった。5分もしないで彼女はわたしの顔を一度も目を上げて見ず、そのまま仕事場へ戻っていった。だが、書類上から言わせてもらうならばここに来ている旦那はわたしには何の関係もない。しかし席を一緒にしなければならない。車から降りてもこないで、と言うより挨拶もしないでこういう取引には、まるで彼を中心に囲んでいる。
実際の持ち主と言うことだが、 フランスの法律では彼にはまったく関係はないことになるから私はこんな気に入らない方の同席を断ることも出来る。 無論日本の法律でも同じだろうが、まあ、蛇の道は蛇で、この場は任せることにする。
そこでまたこの事実上の売主は私からの振込みを断り、現金がほしいと言い始める。確かにここは銀行の片隅の机なので現金を下ろす事も出来るがわたしは振込みにこだわり、その他もろもろの料金の精算は現金でしてもかまわないということにした。するとどうだろう。事実上の持ち主は今度は振込先を息子にと言う、しかもまたまた違う名前である。結局、司法書士の人はそんなことにこだわらず契約は成立した方がいいと言う。が、しかし、こんなことはどこの国でもありえないことだと頭の中で考える。何を察したかこの法律上無関係なこの旦那は気分を害したのか、最後にこんな言葉で閉めくくった。
「ここは日本でっせ、日本には日本の法律があるんや」
あのう、あんたに言われたくないとそのとき思ったが、目下フランス在住は口には出さず、どんな事情で売りたかったのかやさしく聞いてみた。
「むろん、もうけでっせ」
と気分を少しよくしたのか、最初から最後まですごい大阪弁で話しまくった。また、日本と言う言葉を何度も何度も浴びさせられた。
言って悪いが、大阪弁、いや河内弁ならこっちの方が得意かも知れないとは思っていたが、逆に相手の話を引き出すためわざと大阪弁では話さないことにした。
日本の常識、と彼は言ったが、それなら日本の常識でサングラスの彼には出てきてほしくなかった。不動産を買うのに日本ではやくざのような関係の人を相手にしなければならないのか。不思議な国だ。
一旦話は進んだが、結局その物件は買わないことにした。また、これから探し始めなければ、ああどうしよう。
友人は一同にこう言う
「アパートなんて買ってどうするの?住居がなければ日本に帰ってきて、生活保護が受けれるのよ」と、そうだろうか。
住むところを確保する と言うことは本来人間が感覚的にやることでは無いだろうか。他人様に頼るのもいいが、それは最後の手段だ。 どうしても出来ないときは頼るしかない。今の私にはまだ人に頼らなくとも生きていける。その自身はある。 フランスでは数ある社会保障を利用する人が余りに多い。その人たちを攻めているのではない。それもひとつの手段なのだから。