仏相な世の中、日本の中
―フランス在住ただいま帰国中―
小畑 リアンヌ
私の名前は小畑リアンヌ、もちろん本名ではない。小説も随筆もエッセイも、
今まで書いたこともない。まったくの素人である。だからめちゃめちゃなことを書くと思う。
馬鹿なことを書くと笑われてももいい。でも今大きな声で言いたい、書きたいことが大いにある。
こんな日本に誰がしたと、ね。
責任者出て来い。大人はいないのか。
百姓一揆、いや世直し一揆、いや平成一揆、それとも
ハケン一揆かな。いままさに起きても不思議ではないだろう。誰もが知っている昔には士農工商という制度があった、
それよりも下の位のわずかな人間がいた。そう河原ものというものがが存在していたのだ。
それが平成の時代になり、何代かの総理大臣がめまぐるしいほどお変わりになるにつれて資本主義を全面に打ち出した聞こえはいいがグローバルな政策で、期間従業員だけではなく派遣という位が出来、格差は超がつくほど広がっていったように思う。今の世の中に河原ものがあまりにも増えすぎた。
フリーターという名前はいかにも自由なかっこいい言葉だが裏を返せば職場に無責任でいられる。そして彼らはそのツケとして要するにその後仕事が無い。あってもその労働に見合わない賃金しかもらえない。行き着く先は河原ものという職も無い、住所も無いという浮浪者になりうる。
これでは人の心も寂しい、卑しいものになっていく。河原ものとは当時の貧しい農民でさえも、まだ自分たちよりも下がいるではないか。と比べられる人間としては最低の封建社会が作り出した地位だが、この現代では人間が作ってはならない位なのだ。そう私は信じたい。そして今や次の地位、正規社員まで危なくなってきた。
フランスには自由、平等と博愛がある。日本は自由を取るか平等を取るかでもめていると言う。自由を取れば平等ではなく、平等では経済界で自由競争が出来ないとそんな馬鹿な議論が政治家達の間でされているなんて考えられない。最後の人間が本当に必要な博愛がいつどこで欠けていったのか。それが今の日本なのか。
なんとこれを書いている間に世の中はサブプライムから発しリーマンブラザーズの倒産が発表されたかと思うと世界中が不況の渦の中に飲み込まれた感がある。しかしバブルの経験者とのたまって安心しきっていた日本はフランスよりも早い勢いで一度にドドドッと転がり落ちている気がしてしょうがない。
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フランスに移り住んでかれこれ28年、去年最愛なるフランス人の旦那を癌で亡くし、未亡人となり、今、終の棲家を求めて、さあ、フランスで住むか日本で住むか、それともと迷っている。
亡くなる前、旦那はフランスの田舎の家を売って日本人の友達が多いパリに住めばいいと最後のひと言を残してくれた。それには感謝をしている。子供達に何にも言わせないでこの家を売ることができるからだ。だが、世界の中、いやパリの住宅はあまりのバブルになっていて、手が出ない。しかも長年付き合っていた友達たちも今では少なくなり、わずかに残ったパリ好きの親友もいざとなれば彼女たちの娘、息子が住む国に行くだろうといい始めたのだ。
フランスの若者は一度は外国へ行って住みたいという希望がある。ある友人は娘の意向に従うつもりでいるらしい。ああ、ブルータスお前もか。かという私も子供が二人もいながらどちらも学生の身で外国で一人暮らしを始めてかれこれ4、5年以上一緒に住んでいない。わが子供達は親と住むことが出来たら避けたい。彼らはそんな考えなのだ。
しかし日本には「パラダイス鎖国」という言葉があるらしい。楽なところに留まっている。自国にいれば甘えさせてくれる。外国へ行く必要がない。内向きになる日本の若者。
私が20歳のときは外国に行きたくて仕方が無かった。一度は外へ出てみたい。外の世界と触れてみたい。その後、帰ってきてそれを生かして日本で働きたいとそんな希望があった。旦那や家族を作る前にやりたいことだった。でも、当時は外国へ行くにはヨーロッパであれアメリカであれ飛行機代が本当に高かった。
格安航空旅券片道大阪−パリ間、大韓航空で13万円。しかも時間がかかった。アンカレッジ経由なんだから。遠かった。帰りの切符も持たずに飛び出していた。その当時は、今のようにインターネットも無いので行ってしまえば独りぼっちになる。それでも憧れた。明治以降に日本を飛び出した当時の若者はパリまでシベリア経由で30日かけたそうな。佐伯祐三も黒田清輝もLéonard FUJITAも、
話を元に戻すが、ならば終の棲家に自分が生まれた国日本はどうだろう。私を受け入れてくれるだろうか。
2008年2月娘を連れていや娘に連れられて東京、息子の居るオーストラリア、また東京、そして大阪と6年ぶりに日本の地をひと月間踏んだ。そのときはあまりの嬉しさと、心の寂しさでわれを忘れて日本をしっかり見る余裕がなかったのかもしれない。
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−2回目の上陸−
2008年9月X日、心はわくわく、身体はそわそわしていつもの日本のいい面での変化を期待して大阪の地、関西空港に足を踏み入れた。
今回は私を心配して22歳の息子が付いてきてくれた。ああ、この快感はなんだろう。優しい息子を連れて歩きまわれる。 鳶が鷹を生んだ。自慢できる子だ。
恥ずかしい話だが大阪生まれの私が関西空港に到着したのはこれが初めてであった。いつもANAつまり全日空(別にコマーシャルをしているのではない)で東京経由をしているので、一旦東京に着く、何日かエスカル(滞在)をして大阪の伊丹空港へ向かう。だから伊丹空港しか知らない。それ以外にJALでは関空に直接直行してしまうし。関空は空港税も高い。けちの私はわざとここを避けてきた。
始めて見る空港は、巨大なほどの高さ、近代化された建物、に圧倒される。4階建てになっていて、4階は国際線、天上にはモビールの飛行機が飾られ揺らいでいる。
私たちは飛行場につながる南海本線、あるいはJRへの切符売り場を目指して下りていく、改札口まで広い通路が続き、案内が行き届いている。いいではないか。さすが日本。高度成長の賜物やと思いきや、あれっ踏み締めた50cm平方ぐらいの大タイルはいたるところにヒビが入っている。
フランスの田舎で土台から左官工事を自分の手でやったものにはこのタイルの貼り方が気になった。サービス、請負料が相当高額なヨーロッパの国では結構自分達で家を土台から立ててしまうやからが多い。私たちもそうだった。人に任せればそれだけ経費が何倍も高くなり、しかも下手をすると素人以上になっていない左官屋も来る可能性のほうが高い。つまりプロフェッショナルっていうのはフランスには本当に存在しないと言っても過言ではないのである。
タイルの細かなひび割れはしかもかなりの数である。土台がちゃんと水平にセメントが塗られていないとよく起こる。関空っていつ建てられたのだろう、修理なんて必要ないってことかなど考える。
それよりも切符の買い方がわからない。目的地が見つからない。人はまばら、自動切符売り場ではわからない。やっと車掌が居る売り場で買い方を聞く。まるでなぜ立派に日本語を話す、おっと長いフランス生活で大阪弁を話さなくなってしまってはいたが、一応東洋人のような親子が改札で、もたもたしているのか理解されなかったようだ。不思議な面持ちで見られた。すみませんが足りなかったのか、それとも意識せずにフランス語を話していたのか。息子に言わせるとちゃんと日本語を話していたらしい。
実に不親切だった。次に南海の乗り換えでも迷った。そこに居た車掌も実に不親切だった。それでも何とかやっと乗れ難波へ着いてしまった。本当に外国人だったらどんなに苦労しただろうか。それともこれが旅のはじまりなのか。そんな矢先、ちらっとニュースで伊丹空港か神戸空港かがなくなり大幅に縮小に入る計画があるという。何だ日本は不景気なんだ。90年代のあのバブルを抜け切ることが出来た日本を誉めてあげたかったのに、回復とはいかないまでも安定した足踏み状態であると何度も何度もフランスで見ていた日本のテレビJSTV*で聞かされてきた筈であったのに。違っていたのか。
*これも愚痴だがJSTVはホットバードといわれる衛星の一部を利用してヨーロッパに送られている日本のチャンネルで、ニュースの時間帯だけが無料になりスクランブルが解ける。ドイツなども流しているがこちらは全部の番組が無料。高額なJSTVに私を含め殆どの日本人は入るつもりは無い。
リムジンバスは梅田まで一人1300円、当然のことだが二人で2600円はきつい。そうかあの時、南海で値段が高い特急ラピートやらに乗らなかったから、南海の車掌は不親切だったのか。次は地下鉄に乗り換え、しかしまあ日本はロンドンに次いで高い交通費がかかる。
ロンドンのアンダーグランド略してチューブの運賃は実に4ポンド(800円ぐらい)、高いしかし乗り方によってはたとえばひと駅乗ろうと10駅乗ろうとロンドン市内は均一。だから安くなる。あの赤いバスは1日券が3ポンド50だった。大阪の地下鉄はそうは行かない。3駅ぐらいまでで200円その後は230円、270円とかかってしまう。確かに1日券は850円であるが地下鉄だけでは大阪はどこにも行けない。阪急もあれば南海、阪神、京阪、近鉄、JRとあるのだから地下鉄だけではねえ。難波と梅田を往復するぐらいだから使い道が無い。あまり役立ちそうにも無い。大阪市内統一の運賃を望むのは無理かな。
目的地は阪急十三なのだ。ここでも二人ぶん300円かかる。交通費のことを書いたらきりが無いからここは一旦終わることにする。ああ、高。
50歳半ばで帰ってきた日本、しかも6年ぶりのわが町、言葉が通じる、おいしいものが食べれる、やさしい自国民に会える、安心して旅行が出来る、フランス人のように言葉の面で馬鹿にもされない、優しくない、誰も助けてくれない、個人主義だ。キツイ。でもでも日本はフランスと違っていやな野郎の国ではないと信じてきた。しかも日本はお客に対して親切だ。
古いと言われるが“お客様は神様です”の精神の国なのだ。おっと、空港では違っていたが、まああれは公務員だからだねえ。いや市営ではないか。でもまあいいかと少しいいほうに考え直そうと思うことにする。
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−ケイタイ−
電車の窓から見える大阪、阪南の景色、やがて堺の景色へと移り変わっていく。木曜日の午後、電車の中は人がまばら。にぎやかな光景を思っていただけに唖然となってはいたが、ハーフの息子と前に座る人たちの様子を伺っていた。
次の駅で中学生らしき女学生がすぐ横に座った。小柄な普通の感じの彼女は携帯を掛け話し始めた。前に居る人はちらっとこちらを見たが何も言わない、フランス語を話している私たちには今は何も言う機会ではなさそうだ。70歳を過ぎたおじいさんらしき人が彼女の横でうさんくさそうに見ているが何も言うことはしない。
そういえば夏に行ったロンドンはひどかった、あの狭いバスの中で黒人も、インド人も、アラブ人も、アジア人も、おっと白人も、時、場所をかまわず携帯を出して話していた。まさしく携帯の全盛期なのだ。うるさかったがそのときは英語なので勉強のためになんとなく聞いてやろうと必死になったおかげで気にもならなかった。パリはというとこれまたアラブ人も、黒人も、アジア人も、おっと白人も携帯をところかまわず使用し始めうるさくなってきた。誰も注意はしない。が、日本は誰も電車の中やバスの中では使用しないと聞いていた。
ロンドンで英国人にたまたま日本の携帯の状況を聞かれたとき、聞き耳で、日本はもう誰も公共の場では使わないとロンドンっ子に伝えたばかりだったのだが。ロンドンっ子は
「それは法律できまったの?」と聞き返してきたが、
「いいえ、人間の常識だからよ」と胸を張って見せたばかりだったというのに。これでは困る。
先ほどの少女はかれこれ20分も話している。やれやれ、こんなはずでは。いつも息子に日本を自慢してる親としては恥ずかしい。他の乗車客も駅を過ぎるごとに増えてはいったが誰も関心なさそうにしている。狸寝入りを決めたものもいる。何も言わない風を装っている。
そこにいつもはうるさいとしか言いようの無い、たとえば傘などをお忘れなくとか選挙時のあれと似ている、○○でございますと名前しか言わない耳にたこの出来る車内放送。まるで子供を相手にしてるんじゃないと思っていたそのアナウンスが、
今日は
「携帯は音声をお切りになって迷惑がかからないようにお使いください」という。
待ってましたのような言葉に少し感激した。
まあ、この場合自分が話しているので音声を切るのではないが、ありがたい。変な日本語が耳に飛び込んでくるより、電車のガタガタ揺れる線路の継ぎ目の音の情緒あるオノマトペのほうがいい。
少女は聞こえなかった風でもなく、それは堂々と話しに夢中になっているではないか。おっとちょっと待った。いつも子供達に私の母が教えてくれた口癖ではあったが、それを真似て他人様に迷惑をかけてはいけないと言い聞かせている母親の面子がある。
「あのう、今の放送聞こえませんでした」とやさしくではあったがそれでも少女の目を見据えていった。
だが彼女は言葉が掛けられているほうを向くのでもなく、こちらと目が合わない。どうみてもこちらを無視して電話の相手にこう話したのだ。
「ごめん、うるさい人がいるから切るね。」
あのな、うるさいのはあんただ。
という言葉がのどまで出てきたが何とか抑えることが出来た。
なんということだ。リアンヌ、彼女のためにいやな思いをすることも必要も無い。彼女はそういいながらも次の駅で降りていった。これがせめてもの慰めか。そこで思ったのだがではこれから誰も言わない、大人が言えないならフランス帰りが言ってやろうじゃないか。この印籠が見えぬか。と。ひそかに決めていた。
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